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演能の前に
「なぜこの能はこうなのか?」
「なにをいいたいのか?」
と考えるようになった。
そしてまず自分の回答を見つけ、それを疑うところからはじめている。疑うというと
「人をみたら泥棒と思え」
みたいに思われたら嫌だが、
「好奇心という原動力」
なんて綺麗な言葉で自分をカバーしてみても、どうも似合わない。要するに疑っているのだ。演能後に演能レポートを書く習慣は私のライフワークになっている。
「よく書くね!」
「面倒じゃないの?」
と言われるが、
「自分のため、好きでやっているから平気」
と答えている。
私の演能レポートの内容に異を唱える方もおられるかもしれないが、もともと物忘れをするダメ人間であるから、記録することで、自分の感じたこと考えたことを思い起こすよすがにしているだけのこと。
最近特に物忘れが激しくなってきたので、素の自分を記録に残そうと、気楽に書くことと演じることと二人三脚で人生を送ることを決め、自慢じゃないがかなり実行していると思っている。
元マイクロソフト社長の成毛眞氏は著書「このムダな努力をやめなさい」で
「興味があるなら何でもいい、たとえば能に興味があるなら、観に行くだけでなく、自分で能楽教室に通うのもいい、能面を打つ教室もある、好きなことを深く探求する、その方が楽しいに決まっている」
と書かれている。一つのことでも広く深く求めることの薦めだ。能を例にしたわかりやすいお話でありがたい。いいことを言われる、と満足して読んでいる。私自身の演能レポートも深く求めるためのもの、楽しさに繋がっている。そして、
「この積み重ねがやがて自分の武器になるかもしれない、自分の身を助けることにも繋がることもあるだろう」
と説かれる。まさにその通りなのである。
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くどくなるが、能を知るには、成毛氏がおっしゃるように、観る経験をして、次に自ら体験をするのが一番の近道だ。愚痴になるが、現代の能楽界で問題なのは鑑賞者はいてもお稽古する体験者が減少していることだ。私もお稽古して下さる人が増えてほしいと切に願っている。
稽古する人の減少、これを早く止めないと、能は確実に衰退の道をたどる。
明治の御一新から、能は能楽師の演者と観客とお稽古する習道者の三位一体で構成されてきた。能が健全に発展するためにも、この三位一体が欠かせない。
今それが危ない。私は能の愛好者や習道者がまた増えるようにと、いろいろな普及活動をしている。今後も努力を惜しまないつもりだ。
能に興味のある方は、もう一歩、勇気を出して歩みを進めてほしい。
敷居は高いかもしれない、が跨いで入り振り向けば、
「なんだ、たいした高さじゃないわ」
と言われる、はずだ。
粟谷明生の門はいつも開いている。
「習いたい、やってみようかな~」
と言う方を私は両手を広げて待っている。
う…?
この書き方ではなんだかイヤラシイ感じ? だめ?
「こう書いたらいいのに!」
と思われた方は、即、ご指導下さい。即刻訂正しますので、お願い
写真 求塚 シテ 粟谷明生 撮影 青木信二
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