清経は愛する妻を西国まで同行させたく、妻もそれを熱望していた。しかし重盛の子息達・小松家の人々に対して心の底から気を許すことをしなかった宗盛を総大将とする平家一門と時子。そして妻の縁辺の藤原氏もまた同行には猛反対であった。 なぜ?  それは妻が平清盛殺害を企てた藤原成親卿の娘であったことが大きく、そのような状況下で、愛し合う若夫婦であったが、離ればなれにならなければいけない、宿命となってしまった . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



『清経』の小書は喜多流では「音取」と呼び、他流では「恋之音取」であると思っていたが、我が家の伝書には「恋之音取」の記載となっていたのを発見、驚いている。 平凡社「能百番」からの引用させていただく。 「恋之音取」の演出が、能『清経』本来のものであったと思われる。地謡の「夢になりとも見え給へと」の謡の内に、笛方は後座より本舞台に進み入り「枕や恋を知らすらん」と妻が眠りにつくと、橋掛に向かい静かに譜を . . . 本文を読む

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )