自分の人生を振り返って「私は読む人間でした。」と著者はいう。読む人間として、その喜びと恐れと寂しさを味わってきたという。
小説を書くときもまず最初の読み手だった。書く人間と読む人間は5分5分だったという。
朝7時前に起き、午前中は小説を書き、午後は、テーマに沿った作家の本や送られてきた新刊書を読んだりした日々だったという。
読む人間は、引用する人間だったともいう。本を読みながらカードをとる。このような習慣が著者の文学を作ってきたのだ。
サイードの晩年のスタイルについての著述が心に残った。「晩年の消え去って行く自己という考えには引きつけられず、希望を失わずに仕事をすること、不確かな足場に立ちながら、困難を克服するためにもう一度試みることだ。」サイードや素晴しい仕事を晩年残した古今の芸術家達の生き様に勇気をもらって、著者はもう一度作品作りに挑んでいく。まだ、人生の中期だと思って生きていく姿勢が印象的だ。
小説を書くときもまず最初の読み手だった。書く人間と読む人間は5分5分だったという。
朝7時前に起き、午前中は小説を書き、午後は、テーマに沿った作家の本や送られてきた新刊書を読んだりした日々だったという。
読む人間は、引用する人間だったともいう。本を読みながらカードをとる。このような習慣が著者の文学を作ってきたのだ。
サイードの晩年のスタイルについての著述が心に残った。「晩年の消え去って行く自己という考えには引きつけられず、希望を失わずに仕事をすること、不確かな足場に立ちながら、困難を克服するためにもう一度試みることだ。」サイードや素晴しい仕事を晩年残した古今の芸術家達の生き様に勇気をもらって、著者はもう一度作品作りに挑んでいく。まだ、人生の中期だと思って生きていく姿勢が印象的だ。
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