大好き!本・花・旅

日ごろ読んだ本や花、旅について綴ります。

ブリザード 夏から秋へ

2006-08-29 21:34:55 | Weblog
ブリザードの花を使い、秋らしい作品を作った。茶色とカーキ色のモールをたらし、深紅のバラやアジサイ、白い葉をあしらった。最後に緑の葉で動きをつけた。秋がすぐそこに近づいているような気がした。
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八方尾根は秋一番

2006-08-27 20:11:27 | Weblog
 家族で、八方尾根を訪れた。朝5時に家を出発し、7時半にはゴンドラ乗り場に到着した。もう長い行列だった。本当に、最近の中高年の登山ブームはすごい。
ゴンドラを三つ乗り継いで、最終駅に着いた。ゴンドラの眼下には、白馬の町が見え、遠くには白馬連峰の峰々を望むことができ、360度の視界は怖いくらいだ。
 足元は、もうすっかり、秋。野アザミなどの美しい野草が私たちを迎えてくれた。チシマギキヨウ、ユキワリソウ、ミヤマズスマギク、チングルマ、タカネマツムシソウなどが咲き乱れ、高原は上品な秋の野草園だった。ようやく、八方の池についた。残念ながら、霧に覆われうっすらとしか見えなかった。
 ずっと上り続けた。途中雪渓あり、お花畑あり、最高だ。特にお花畑は本当に美しい。山は、みんなの大庭園だ。自分の庭を持つことさえ、馬鹿らしくなるくらい自然は美しい。ようやく丸山ケルンに到着。頂上のおにぎりは、最高だ。あいにく、霧がかかり視界は今一だったが、八方尾根の花々にあえて、幸せだった。また、紅葉の時にも訪れたい。
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山の素晴らしさ

2006-08-15 20:57:24 | Weblog
 今日は、家族で西穂山荘へ出かけた。朝4時に車で出発し、奥飛騨温泉郷のロープウェーに6時30分に乗ることができた。雲ひとつない快晴の青空の下、西穂高岳、槍ヶ岳、焼岳、など大パノラマが目の前に展開し、山の魅力にはまってしまった。眼下にはあこがれの上高地が見え、はるか向こうの雲の上には、白山も見ることができ、360度の大パノラマの素晴らしさに圧倒された。
 ロープウェーの終点から針葉樹林の林を上り始めて1時間10分、ようやく西穂山荘についた。広場には、色とりどりのテントが並び、高山植物が咲き乱れ、登山者でにぎわっていた。涼風にふかれながら、500円のブルベリーソフトクリームの味は最高だった。
 次に西穂独標目指して石ころの多い道を登り始めた。白リンドウが美しかった。
笠が岳の姿がダイナミックに迫ってきた。怖い岩場を上りきると台形の独標についた。多くの人々でいっぱいだった。頂上でのおにぎりの味は最高でした。
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高橋哲哉講演会 in富山

2006-08-12 19:26:14 | Weblog
 8月10日に高橋哲哉講演会があった。「靖国問題」の著者として有名な教授とあって多くの平和を求める人でホールはいっぱいだった。金沢からや、若い人も多く参加していてとてもよかった。
 テーマは「靖国と歴史認識」という題で、首相の靖国参拝がもつ意味を論理的にとてもわかりやすく講演してくださった。ひとつは、感情論からである。戦前の靖国神社の前で多くの母が戦死した息子を神とあがめている写真が示すように、戦死した悲しみや怒りを誇りに転化させるというねらいである。
 二つ目は、首相の靖国参拝は、憲法20条の「国家および国家機関はいかなる宗教的行事に参加してはいけない」という項目に違反しているからである。
 今、北海道の護国神社に陸上自衛隊の幹部がお参りしている写真も紹介された。植民地帝国主義の道を歩まないで、アジアの人々と共栄していく平和の道を歩んでいく日本でありたいものだ。 
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今 谷中村は

2006-08-11 16:37:14 | Weblog
 次に、渡良瀬遊水池を訪れた。展望台から広がる広大な景色に圧倒された。ベトナムのマングローブに決して負けない一面の緑、緑。今は、ラムサール条約で自然が保存され、多くの貴重な生物の宝庫になっているそうだ。
 この広大な遊水池の一部にひっそりと谷中村の遺跡が保存されていた。村役場の跡、神社の跡、お寺の跡、お墓の跡が残されていた。特に正造が最後まで村の移転を拒否した16軒の人々と闘った小屋のある高台に上ると、最後の時に正造がここへ連れてっくれと切に懇願したという正造の声が聞こえた気がした。
 今ハート型の遊水池の周りには、多くの人々が集い、気球やゴルフに興じる人々の声がこだましていた。平和を楽しむ人々の影にこうした悲しい人々の戦いと努力があったことを忘れてはならないと思った。生存権と公害を初めて訴えた人田中正造をとても身近に感じれた旅だった。埼玉支部の先生方、楽しく、充実したフィールドワークをありがとうございました。来年は神戸、ぜひ参加したいものです。
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田中正造の生家

2006-08-11 15:43:11 | Weblog
 次に、田中正造の生家を訪れた。正造に一番信頼されていた島田宋三の息子さんに案内していただいた。
 家は中程度のわらぶきの家だった。井戸や彼が病気がちの父のために医師を招いた診療所なども作られていた。
 樹齢130年の立派な百日紅の木に驚いた。正造の生き様をじっと見つめていた木。指紋が着いているかもしれないといってみんなで、木をなであった。正造の手と触れ合った気がしてうれしかった。
 道路を挟んだところには、田中家の立派なお墓があった。心を込めて手を合わせた。
 次に、全国で有名な行列のできる佐野ラーメンのお店で昼食をとった。チャーシュウメンは、薄味で餃子は、大きくてとてもおいしかった。
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田中正造の足跡をたどる 1

2006-08-10 05:39:04 | Weblog
 まず雲竜寺を訪れた。明治29年の渡良瀬川が未曾有の大洪水になったとき2000人の農民が終結し、請願したという。そのときの半鐘や田中正造の墓、事務所の甲板もあった。そして、なんと数年前に墓の修理の時に出てきた正造の骨壷の写真を住職から見せていただいた。正造の骨は5~6箇所に分骨されているという。
 次に、臨終の正造を看取ったという庭田さんの家をお邪魔した。農家の座敷で庭田さんの祖父が34日間看護したという。多くの見舞い客が訪れたという。その人たちをも接待したという。その結果、2階に保存していた米も味噌もなくなったという。4枚の大切な田も売ったという。でも何も正造の遺産をもらわなかったという。葬儀には、大変多くの人々が集まったという。多くの善意ある人々が彼を支えていたのだなあと胸がつまった。庭田さま、冷たいお茶と感動的なお話をありがとうございました。この家は、いつまでも保存してほしいものです。
 次に佐野市郷土博物館を訪れた。資料室のビデオ「田中正造の歩いた道」は大変よくわかった。60歳の時の直筆の直訴状が展示され、訂正箇所に多くの印が押されていた。太い字と細い字の訂正の秘密も名ガイドの赤上先生の解説で大変よくわかった。すばらしいガイド本当にありがとうございました。
 遺品の3個の石と聖書と憲法にも出会えてよかった。
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今 足尾銅山は 3

2006-08-10 04:49:58 | Weblog
 次に橋の上から、渋川の谷に広がる鉱山の廃カスを積み上げている堆積場を眺めた。底辺330m、高さは、100mにならんとする巨大なロックフルダムがその谷をふさいで、町を見下ろしている。
 決壊すれば、鉱害が眼下の多くの町に大きな被害をもたらすだろう。早く対策をたててもらいたいものである。
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今 足尾銅山は 2

2006-08-09 04:49:43 | Weblog
 次に足尾歴史館に行った。玄関近くに展示してある大きな鉱夫の写真に圧倒された。14歳位の子供たちもいる。明治の働く人たちの生の姿と対面している迫力があった。明治の人の顔つきは今とは何か違う気がした。
 その反対側には、古河一族の着飾っ園遊会の写真があった。とても対照的で心が痛んだ。明治の産業の発展に尽くした足尾銅山の光と影が展示されていて、とてもためになった。
 次に足尾ダム・足尾環境学習センターを訪れた。今、関東地方の小中学生が多く訪れ緑を植えたり、環境学習の場になっているという。                                                         次に竜蔵寺を訪れた。廃村になった松木村の無縁仏のピラミッドが悲しかった。親方と子分の契りを多く結んでいた鉱夫の墓や,明治時代政府に反抗して処罰されたという二人の僧侶の墓もあった。足尾精錬所のすぐ前で自らも鉱害に苦しめながらも,多くの菩提を守り続けていらっしゃる住職の胸中はどんなだったろう。住職さんのお話は、たいへんすばらしかった。
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今、足尾銅山は 1

2006-08-08 20:51:56 | Weblog
 歴史教育者協議会埼玉大会の現地見学に参加した。最初に松木渓谷に行った。
今もなお、山は、鉱山の捨てカス黒いカスミに覆われ、緑ひとつない荒涼とした風景に圧倒された。当時は、一面の山という山が立ち木一つない茶色の大地だったという。人は、この風景を日本の「グランドキャニオン」と呼んだという。
 今は、行政や国、市町村が協力して、50億円かけて、ヘリコプターで種をまき、土が流失しないようにしているという。また、「100万本の木を植えよう」をスローガンに多くのボランティアが参加し、みごとに緑の大地に変わっていた。
 100年かかって、ようやくうっすらと緑の草が生え始めたといっていい。まだ、森林とは、いいがたい。公害を出した張本人の企業の古河は、参加していないというから驚きだった。
 松木村の繁栄は今はなく、捨てられた無縁仏がひっそりと立ち、涙をさそった。鉱毒の産まれかわりのような黒い蝶と赤とんぼが群れ飛んでいた。
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