昨日の続き。判決文はいよいよ罪状を述べる。
*昭和18年4月中旬頃、朝鮮における徴兵制度に関し民族的立場より批判…朝鮮独立実現のため一大威力を加えるものなるべし
*昭和18年4月下旬頃、朝鮮人は従来武器を知らざるしも徴兵制度の実施により新たに武器を持ち軍事知識を体得するに至り将来大東亜戦争に日本が敗戦に逢着する際民族的武力蜂起を決行し独立実現を可能ならしむべき…独立実現に貢献すべく各自実力の養成に専念するの要ある
*朝鮮内学校における朝鮮科目の廃止せられたるを論難して朝鮮語の研究を勧奨し…内鮮一体政策を誹謗し朝鮮文化の維持朝鮮民族の発展のため独立達成の必須を強調
こうした似たような内容がまだまだ続く。無理やり国家転覆を謀るかのようなこじつけで治安維持法違反に罪をきせた感がある。
なんだか戦前の日本は習近平やプーチンの国のようだった。実際、27歳での獄死は薬殺だったようだ。
ある時、ソウルの延世大学のキャンバスにある李東柱の石碑を訪れたことがある。石碑はなかなか見つからず、通りかかった30代らしい男性に尋ねたが知らなかった。大学院生か学務課の職員かわからないが、大学の関係者だろう。私の韓国語がいい加減でも「李東柱」のキーワードで察するはずだ。李東柱とその死因を知らないとすれば、気が楽でもあった。
やっと石碑を見つけた。小ぶりのちょっと気づきにくい場所にあった。しかし、小学校の高学年とみられる数人の女の子がノートを持って石碑の前にいた。とたんに、女の子たちに贖罪の気持ちになった。