月遅れになるが、『文藝春秋』2月号のトップ記事「菅「敗戦処理内閣」の自爆」は読み応えがあった。
菅首相のコロナ危機に対する後手を踏む迷走ぶりの説明に納得した。その内容は書かないが、とにかく「菅さんには安倍さんがいない悲劇」となかなかの皮肉が面白い。
そもそも「菅首相はトップに仕えることは得意だが、リーダーのポジションに向かない」は衆目の一致するところだろう。参謀役というわけだが、それだって官房長官付きの官僚が面倒をみていたからではないか。
タナボタ的に首相の座を得て以来、発言のほとんどは官邸官僚の作成文の棒読みである。だから発言中下ばかりみるのだ。最近はプロンプターも利用しているようで、今度は横を向くようになった。
就任直後の日本学術会議の候補会員の拒否の「総合的、俯瞰的」というにべもない言葉の連発に失望した。とても国民に語りかけているとは思えなかった。
貧相で、とても国際的に立ち回れると思えないが、いつから自分はリーダーの資質があると思ったのだろうか。提灯持ち、ゴマすり、忖度、おもねり、こびる等の人々が周囲にいるから錯覚する。
息子が虎(オヤジ)の威をかりても別人格だとぼける。ネポティズムすなわち親族重用主義は韓国では断罪される。日本でよかったが、命取りのリスクはある。
この際、菅首相の最大の功績となるのは早く退陣することではないか。