東京五輪の中止を決断すべきである。
今、世界中は失意にある。新型コロナ感染者は1億人を超え、亡くなられた人々は230万余となっている。感染者の診療・看護で医療従事者は忙殺され、家族や友人は心労にある。まして亡くした身内がいれば悲しみは深い。
こんなわけで、とてもワクワクしながら開催を待ち焦がれる状況にない。
開催中止は、参加を手ぐすねを引いて待つ国の選手にとって不運であろう。
しかし、参加を予定していた国や地域によっては、その派遣予算をコロナ感染対策にまわされ、選手団の派遣を断念するところもあるのではないか。つまり、五輪開催に参加できなくなった国や地域の選手こそもっと不運になる。
アスリートはできるだけ多くのライバルと競技したいはずだ。ならば、別の機会に多くの選手が競技できる機会を考えたほうがよいのではないか。
次の会長候補には政治的中立を条件としているようだが、ポリティカル・スキルがあったほうがよい。それ故、男女を問わず五輪メダリストにカバナンスを求めるのは酷だろう。しかも、中止を余儀なくされる事態になれば後々まで傷が残る。
中止を想定すれば、元政治家や官僚出身者が中止の骨を拾うべきだろう。
会長が決まれば、その会長によって果たして中止に傾いたかどうか予想できる