ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

コダマにも似た声が聞こえた様な・・・。

2019-11-14 06:12:35 | 日記
郊外へ出てみました。
稲刈りの済んだ田んぼには、ヒコバエが緑色のまだら模様をつくっていました。
初めて目にする風景ではありません。
でも、何か懐かしく、あたたかく、そして ちょっぴり悲しみに近いものも覚えます。
季節は巡るのですが、秋と言う季は「行く」に近いものがあるような気がするのです。
「おーい」
と、声に出してみました。
呼びかけたものは。心の中の「懐かしさ」へ、だったものか。
「はーい」
コダマにも似た声が聞こえた様な・・・。
安達太良山や磐梯山の姿が、くっきりと襟を正した佇まいで遠景を締め括っていました。

襟を正してもらいたいのは「桜を見る会」です。
菅官房長官は、「長年の慣行」として首相官邸や与党に対して、招待者の推薦依頼を行っ
ていたことを明らかにした上で、来年度は「桜を見る会」は中止し、〈政府として、招待
基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討していく〉と、記者会見で発表しました。
しかし、中止したからと言って、今までの経過を不問にするわけには参りません。
他人の物(税金)をかすめ取っていて、「もうしません」と言えば済むものでもあります
まい。


【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・その21 】

【書けなかった「レクイエム」が。】
                    (2015・7・14 記)
 安倍首相の「70年談話」が、気にかかるせいでしょうか。
 戦後70年という言葉が、さまざまな記憶を伴なって よみがえって来ます。
 やり残したこと、未だ忸怩たる思いに駆られるあれこれ。
 そして、書けなかった「レクイエム」なども、書けないままによみがえって
 来るのです。

   『レクイエム』

    冷たい夏は三年続くという
    集落の人の数が三分の一に減ったという
    木の葉 草の根まで喰ったと
    歴史の文字から削り取られてしまったが
    たしか
    人の肉まで

    身売りされた娘の涙は
    飢えた喉元を潤したか
    山あいの石地蔵は
    水子を今も抱きかかえているか

    九月の青田に空が広がり
    風がうたう
    過去から吹きつける冷たい笛の音

    忘れ去られることを拒み続けて
    冷たい夏は
    死者たちの暗い訴訟状
    透きとおる空の下で
    雨に打たれているのは 私の中の血

    私の生まれた年も寒い夏だったという
    姉は遠いところへ働きに行ったという
    灯火管制の暗い夜
    姉は
    もっと遠くへ逝ってしまった
    私は お手玉で遊んでいたと

    レクイエムの楽譜は
    まだ書けないでいる

 ひと昔前になります。
 【一人語り 冷たい夏から】と言うテーマで、『語りと朗読』をいたしました。
 その時に読んだ自作の詩の一つ、『レクイエム』です。

 『七たびの、飢饉にあうとも、ひとたびの戦にあうなかれ』
 との諺通り、飢饉とは哀しい恐ろしい歴史です。
 特に、東北地方の「けがち」(飢饉)は凄まじかったと伝承されています。
 数多くの人々が、飢えて死んでいきました。
 観光にはなりませんが、飢饉にまつわる供養碑は全国に数多く残されていて、
 酸鼻を極めた言い伝えなども残されているのです。
 「七度の飢饉に遭うより、戦に遭う方が悲惨で恐ろしい」
 と、先人が教え残しています。
 戦を避けることが先人の残した「知恵」のはず。

 今、私は日本の国の政情に、とても心を痛めています。
 戦争の出来る国にしてはいけません。
 「安保法案」に NO!を。

     ※ この原稿は、昨年、あるところへ応募した『落選原稿』です。
       1ピースずつアップしています。
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