ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

皇室への「好き・嫌い」の問題ではなく。

2019-11-15 06:14:11 | 日記
昨日とは打って変わって天候は曇り。
それも重たげな雲が乱れ飛び、強風に雨も混じって吹き付けたりしていました。
今夕から北日本には寒波がやって来て大荒れになるとの予報が出ています。
いよいよ冬の到来です。

本日から大嘗祭が執り行われます。
宗教色が濃い皇室の儀式に多額の国費が使われることに対して、憲法の政教分離
原則との整合性が問われています。
もっと、もっと議論は深めねばならないと私は思います。
これは、皇室への「好き・嫌い」の問題ではありません。
また、五穀豊穣や国民の安寧を祈るのであれば、問題はないのではないか、と言
う考え方もありますが、それは筋が違うのではないでしょうか。


【 『落選原稿』・・・メタボ的愛着・・・その22 】

【女よ】
                 (2013・11・3 記)
(Ⅰ)
乳児や、幼い子どもへの虐待のニュースが、後をたちません。
暗くて、重たい気分に陥ってしまいます。
「人でなし!」
と、バッシングして済むわけでもないのです。

一日、NHK総合テレビ「ニュースウオッチ9」の中で、「育児放棄・虐待なぜ止
められないのか」というニュースが放映されました。
親からの虐待を受けた被害者が、その過酷な実態を 涙ながらに告白していました。
被害者は、ことばでは言い表わされないほどの苦痛を 味わったことでしょう。
しかし、虐待を止められない親の抱えている問題については、触れられていませんでした。
短い時間帯でしたから、触れられなかったのかもしれません。
虐待をしてしまう親の問題は、
「心の闇」
と、一口に片づけられるものではないと思います。

《鬼子母神》の伝説・説話があります。
   =我が子だけは、大切にした山女の話です=

 【むかし、子どもを千人持っている山女がいました。
  女は、千人の我が子を、それは、それは可愛がり、子どもたちの食べものと
  して、人間の子どもを さらってきては、我が子に食べさせていたのです。
  子どもを さらわれてしまった母親たちの、悲しい泣き声と、訴えをきいた 
  お釈迦様は、ある日、山女の子どもを一人さらってきて、隠して置きました。
  子どもの一人がいなくなった山女は、怒り狂い、泣きながら探し回りました
  が見つかりません。
  とうとう、山女は、お釈迦様のところへやって来ました。
 
  「女よ」
  と、お釈迦様は山女に言われました。
  千人もの子どもがいて、たった一人がいなくなっただけで、お前は、それほど
  悲しんでいるのか。
  考えてみるがいい。お前が自分の子どもたちに食べさせるために、さらって来
  た子どもの親たちの、悲しみと、苦しみを、と。

  心を入れかえた山女は、やがて、子どもの守り神、〔鬼子母神〕となったそう
  です】

たとえ、我が子を愛し、慈しんでいると思っていても、誰の心の裡にも「山女」が潜んで
はいないでしょうか。
形を変えて現れる、『業』というものの様に。
だから、育児放棄や虐待をしてしまう親に対して、
「なんて、非道な」
「鬼のような」
と、親を責めることで、自分は「良き母親」の側に立ったことを自認してしまっては、い
けないのではないでしょうか。
虐待をしてしまう親の「心の闇」をこそ、共に、考えねばいけないのかもしれません。
私に長女が生まれた時、長女を預けた託児施設(キリスト教の教会で運営していた施設)の
保母さんが、「あなた お母さんになったけど、これからは『母親になる』ということを
心がけてね」と、諭された言葉は、今でも忘れられません。

母親になれたかどうか・・・私は、今でも自身に疑問詞を抱え続けています。

(Ⅱ)
私は、鬼子母神の伝説・説話から、次の様な お話の展開を考えたりします。

 【「千人もの子どもがいて、たった一人がいなくなっただけで、お前は、それほど
  悲しんでいるのか。
  考えてみるがいい。お前が自分の子どもたちに食べさせるために さらって来た
  子どもの親たちの、悲しみと、苦しみを」
  こうした お釈迦様の諭しも、山女のもとには届かず、怒り、歯ぎしりして、山
  女は哭くだけでした。

  お釈迦様は、静かに山女のもとを、離れました。
  山女は、泣いて、哭いて、泣き続けました。
  その泣き声は、林を抜け、森を巡り、谷川を渡り、
  山の頂き、海の底、大空の果てまで、響き渡りました。

  どれくらい経ったものか、
  何年経ったものか、
  数えきれないほどの長い歳月(としつき)だったのか、
  それとも、
  お釈迦さまが、山女を悲しげな眼差しでみつめた、ほんの つかの間だったもの
  か、誰にもわかりません。

  気がつくと、山女の姿は、透きとおった七色の虹の光の中にいました。
  山女の嘆きの声は、もう どこからも聞こえませんでした。
  山の麓の里からは、子どもたちの笑い声が流れてきます。

  誰言うとなく、
  山女は【鬼子母神】と名づけられました。
  そして、鬼子母神は、今でも、子どもたちを守っているのだそうです。】

育児・保護責任を放棄してしまった まだ若い父と母。
いろいろな「言い訳」が、心のうちそとに、
たくさん、たくさん、数えきれないほどあっても、いつの日か「鬼子母神」となって
よみがえって欲しいと、祈るだけです。

     ※ この原稿は、昨年、あるところへ応募した『落選原稿』です。
       1ピースずつアップしています。
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