散歩から探検へ~個人・住民・市民

副題を「政治を動かすもの」から「個人・住民・市民」へと変更、地域住民/世界市民として複眼的思考で政治的事象を捉える。

笹井芳樹氏の「遺書」が示すもの~「事件の囚人」から新たな始まりへ

2014年12月27日 | 科学技術
笹井氏の自殺を報じたマスメディアは、その遺書、特に小保方氏宛のものを集中して記事にした。毎日新聞(2014/08/06)によれば、遺書の末尾に「絶対にSTAP細胞を再現してください」、次いで「実験を成功させ、新しい人生を歩んでください」と書かれていた。

当然、話題となったこの遺書から、何を教訓として引き出せば良いのか。
故人が「成功を」と書いた検証実験の終了を待って、理研、小保方氏が何を言うのか、あるいはどんな問題に関して言及を避けるのか、関心を持っていた。
“新しい人生”をスタートさせることができるのか?

筆者は7/27放映のNスペ「STAP細胞 不正の深層」をすべて見ていたのだが、神戸ポートアイランドの医療産業都市構想において建設が進む理研の研究拠点「融合連携イノベーション推進棟」(通称 笹井ビル)をカメラが捉えたとき、STAP細胞事件とそれを取り巻く諸般の事情の全貌を象徴するかの様に、その時、感じた。
 『建設中の理研「笹井ビル」が象徴するもの140729』

また、笹井氏の置かれた状況を、以下の三重の“事件の囚人”と捉えた。
 1)「小保方氏との関係」
 2)「京大(山中教授)との競争」
 3)「理研の国家的位置」
 『笹井芳樹氏の自死~ポイントオブノーリターンだったのか140805』

次第に事件の真相が明らかになると共に、笹井氏は急速に立場を悪くし、「2)は問題にならず、検証実験は3)の理研の立場を確保するもので、笹井氏に残されているのは1)だけになった」と述べた。

昨日の記事で述べた様に、検証実験は予想通り何も生まずに終わり、小保方氏も、野依理事長も責任ある言明、行動は取らずに研究者達の時間が浪費されただけの様に見える。140805付記事に書いた様に、笹井氏は、この状況を十分に予測できたのだ。それ故の自死であった。
 『ES細胞の混入は「毒殺」と同じ手法141226』

そうであるなら、氏は「絶対にSTAP細胞を再現してください」と書きながら「再現できないだろう」と考え、従って「STAP現象の総括ができること」を「実験の成功」と考え、その後は言葉とおりに「新しい人生を歩むこと」と考えて遺書を終わらせたのではないだろうか。絶対的矛盾を冷静に認識し、それを乗り越えるのは「新しい人生」を始めることだと。

ハンナ・アーレントは1951年に出された三巻に渡る浩瀚な著作「全体主義の起源」(みすず書房(1974))の終わりを聖アウグスティヌスの言葉、
 「始まりが為されんがために人間は創られた」(第3巻P324)で締めくくった。

更に、「矛盾のなかに自己を喪失しないかという不安に対する唯一の対抗原理は、人間の自発性として「新規まき直しに事を始める」われわれの能力にある。すべての自由はこの<始めることができる>にある。」(同上P292)と指摘する。

しかし、これには厳しい“自己省察”が必須であることは論を待たない。STAP現象の世界においては、それに適う関係者は、残念ながらいなかったのだ。勿論、それは私たちひとりひとりの問題であって、今回の事件を教訓にすることが先ずの出発点なのだ。