朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

下鴨に舞う 紫の夕べ

2008-10-04 | 京都の文化(秋)
源氏夢舞台
 下鴨神社の橋殿にて薪能がありました。10月2日の夜、見に行きました。
 大蔵流狂言「二人袴(ふたりばかま)」、観世流能「半蔀(はじとみ)」、韓国伝統舞踊。京都市主催で市長あいさつ。
 台風一過で好天になりました。
 能の演目。源氏物語の「夕顔」の亡霊が僧の弔いにより五条あたりの小家の半蔀戸を開けて現れ、源氏と結ばれた折のことを語り舞を舞う。そして、それは僧の夢であった。
 うーん。
 お能が始まって10分間くらいの間は、シテの衣装や面、古式豊かな橋殿のしつらい、パチパチとはじけて燃える薪の光などを十分に堪能した。
 しかも最前列の桟敷からの見学。
 しかし、謡いの言葉は現代人には聞き取れない。舞は、極めてゆっくり。面を付けているので演者の表情は見えない。
 演舞時間は予期したよりかなり長く、正直、途中からは、退屈であった。青い瓢箪のぶら下がった半蔀戸(そんな言葉は初めて知ったが)は、他の舞台上の演者衣装などに比べて、非常にシャビー。
 古典として、それも演芸文化なので、演者、音曲演奏家、衣装、面、それらの作成職人も含め、維持保存が重要であることは理解できる。舞台上だけでも、演者2名、笛と鼓3名、地謡8名、後見2名が見えていたが、舞台裏にはその何倍かの人が働いているのだろう。
 ただ、現代人に娯楽としてもう少し理解され支持されないと、経済的に自立して継続していくのが困難になる。最後は、お金持ちの篤志家か公的資金に頼ることになるのではないでしょうか。
 能や謡曲の楽しみをよく理解できないのはボクだけだったかもしれないが、ちょっと複雑な気持ちになりました。



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