朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

新・北斎展

2019-02-09 | 京都の文化(冬)

東京に行く(東下りする)機会があり、多少の時間の隙間ができたので、「新・北斎展」を見学してきました。



六本木ヒルズの上層階にある森アーツセンターギャラリーでの開催です。(3月24日まで)入場までの待ち時間は約20分と案内されました。

六本木ヒルズビルに来るのは久しぶり。入場料が1600円とはやや高め。超高層ビルにあるからなんでしょうか。

この展覧会のことはなんとなく記憶にあったのですが、前日に治療を受けた歯医者さんの待合室で日経新聞を読んで思い出したせいです。展覧会の主催者トップに日本経済新聞社と書いてありました。



注:上の写真で後背の日輪みたいな円形はこのカフェの室内灯です。

さて、今回の展示の中心の貢献者は永田生慈さんなる葛飾北斎一筋の研究者コレクションと研究成果です。

北斎生涯の活動をその画号と画風などによって6つの章立てをしていました。その変貌ぶりは驚くべき進化でした。その意味で英語での題名は「HOKUSAI Updated」(時代や流行とともに変化した)としています。

初期は勝川派の絵師「春朗」(20~35歳ころ)、よく売れていた役者絵、風俗絵、狂言など大衆的な浮世絵を作画しました、第2章は「宗里」と称して勝川派を離れて肉筆画や狂歌絵本の挿絵など多彩な作画に励みました。第3章は「葛飾北斎」、読本挿絵への展開でした。著名な東海道五十三次が生まれました。風流東都八景として江戸の名所を独自の構図で描き写しています。

第4章は北斎漫画の誕生です。驚くほど多数の線画で人の動作、なまこや芋などの静物描写を残しています。例えば、相撲取りの動作をいろいろな角度から描写して帳面を作って販売流通させました。それが、パリにまで流れていき、ジャポニズムの素材として使われました。

第5章は「為一」期、北斎を象徴する時代。特に有名な「富嶽三十六景」が作成されました。砕け散る波頭の向こうに富士山が小さく遠望できる構図。「琉球八景」シリーズでは沖縄の小島の風景がかなりデフォルメされて描かれています。北斎は実際に琉球に旅行したのではなく某絵師の作品を参考にして描いたようです。

最終章は「画狂老人卍期」(75~90歳)です。この時期の傑作「雨中の虎図」と「雲龍図」のペア掛け軸です。後者はパリのギメ東洋美術館に所蔵されていて作者が不明でした。それを鑑定したのが、本展示会の監修者の永田氏でした。画風の鑑定はもとより、パリ・ギメ館の虎と「雲龍図」(大田記念美術館)の装丁生地が一致することが決めてになりました。

展示会場のほぼ最後の作品は「弘法大師修法図」でした。

 (引用:https://hokusai2019.jp/works.html#manji

とても大きな作品で、西新井大師總持寺に奉納されたもの。弘法大師がその法力を持って鬼(厄難)を調伏する様子が描かれています。これも近年に永田氏らの鑑定で北斎のオリジナルと判定されました。

残念なことに永田氏はこの展覧会の企画と監修の期間に病気のため亡くなりました。しかし彼にインタビューをして北斎の業績を丁寧に述べているビデオを残しています。会場で放映されていました。

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前回このビルに来たのは2015年なので、4年ぶり! Googleのイベント(興味あればクリックしてください)でした。

帰りの地下鉄駅に向かう大きな円形通路で、2020東京五輪を宣伝していました。

 

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