朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

「まんぷく」NHK朝ドラ2018後期

2018-12-03 | もろもろの事
NHK大阪放送局制作の朝ドラはこれまで視聴率が低いとの実態があったようですが、今回の「まんぷく」はかなり成功しているとの評判です。

暗い戦時中のエピソードは一段落して、いよいよ戦後の経済発展に向かいます。

萬平さんの「たちばな塩業」が立地するのは大阪府泉大津(大阪市や堺市より南で岸和田市より北)。その海岸の場所に引っ越したのは昭和21年5月。製塩業が軌道に乗り、長男「源」の誕生が昭和22年。

最近放送の場面で栄養食品の開発は昭和22〜23年頃と想定できます。

自分の職業的興味から、その当時の通信状況描写が気になりました。戦中、そして戦後もかなりの期間、一般市民の緊急通信手段は電報でした。昭和30年代でも「チチキトク」とか「サクラサク」(大学合格の意味)など普通に使われていました。



先週の場面で、大阪の公衆電話(らしい)からたちばな塩業への栄養食品新製品の販売不振を報告していました。

そもそも、創業間もないこの会社に電話が開通していたのでしょうか?

大阪の街角に公衆電話ボックスがあったのはウソぽい。外出先からの電話は郵便局に行ってお金を係員に支払って使用したはずです。コレクトコールは、多分無かった。

また、市外電話(長距離)は自動ダイヤル式ではなく逓信省(昭和24年まで、その後は電電公社)の交換手に申し込んで、多くの場合長く待たされました。特急料金を払えば優先扱いがあった。

役所、病院、公益的企業、ホテルや幹部役人宅や医師自宅などには優先的に設置されましたが。

ドラマで、売れない画家の奥さんになっている福ちゃんの姉に電話する場面もありました。姉の自宅だとすると、貧乏画家に電話があったはずはないでしょう。しかも泉大津から大阪への市外通話は簡単にはつながらないし料金が高い。

一般市民の自宅には電話が無いので、「呼び出し」といってご近所さんで電話の有る家にお願いして電話を借りることはよくありました。私の家には子供の時からたまたま電話があったので近所の人の電話をよく取り次いだ記憶があります。

現代のように便利に安価なリアルタイムの市外電話はありませんでした。

戦中、戦後の食料不足などは強調し過ぎるくらいに描かれるのに、通信手段の時代考証が甘いと感じました。
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