最近、新種の桜が発見されました。
深山や古刹の庭ではなく、なんと、京都府庁の庭にありました。
府庁の建物は1904 年(明治37年)に竣工しました。窓ガラスの大半は、100年以上を経過して当時のままなので、外の景色がゆらゆらと歪んで見えました。それも一興。
中庭の中央に堂々と満開の枝を広げているのが、主役のしだれ桜です。
円山公園の「祇園枝垂れ桜」の種から育てた実生木のシダレザクラ。
さて、桜守として最高権威の佐野藤右衛門が最近発見して、命名した新発見の桜がこれです。
この府庁の敷地は、京都守護職の屋敷であった場所で会津藩主の松平容保が執務したのです。会津藩は最後まで徳川幕府に味方したしたので官軍に反抗する賊軍とされ、会津白虎隊など悲惨な内戦を経験しました。
なんせ「賊軍」の大将なので、会津(福島県西部)出身者は、天皇家の地元京都ではずーと肩身の狭い思いをしてきたそうです。
友人にその方の子孫がいるので、とりわけ興味深く鑑賞しました。
深山や古刹の庭ではなく、なんと、京都府庁の庭にありました。
府庁の建物は1904 年(明治37年)に竣工しました。窓ガラスの大半は、100年以上を経過して当時のままなので、外の景色がゆらゆらと歪んで見えました。それも一興。
中庭の中央に堂々と満開の枝を広げているのが、主役のしだれ桜です。
円山公園の「祇園枝垂れ桜」の種から育てた実生木のシダレザクラ。
さて、桜守として最高権威の佐野藤右衛門が最近発見して、命名した新発見の桜がこれです。
この府庁の敷地は、京都守護職の屋敷であった場所で会津藩主の松平容保が執務したのです。会津藩は最後まで徳川幕府に味方したしたので官軍に反抗する賊軍とされ、会津白虎隊など悲惨な内戦を経験しました。
なんせ「賊軍」の大将なので、会津(福島県西部)出身者は、天皇家の地元京都ではずーと肩身の狭い思いをしてきたそうです。
友人にその方の子孫がいるので、とりわけ興味深く鑑賞しました。
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