朝顔

日々の見聞からトンガったことを探して、できるだけ丸く書いてみたいと思います。

平安神宮

2009-03-01 | 京都の文化(春)
この神社の由来は、とても変わっています。
 明治維新すなわち、1868年に「慶応」が「明治」と改元され、遷都の詔(みことのり)が出されないまま皇居が移動し、東京が日本の首都になりました。
 794年(延暦13年)の平安京遷都以来、1074年間ものながきにわたり政治と文化の中心都市であった京都は 、人口も減り危機を迎えました。
 明治20年代になり、京都市民は産業振興のきっかけとすべく「内国勧業博覧会」を誘致し、そのモニュメントとして、平安朝時代の模造大極殿を建設することを決心したのです。
 建設費用は政府資金でなく京都市民と全国からの寄付金によるものでした。
 平安京の朝堂院などの建物を、平安当初の色彩装飾を再現し十分の六の規模で1895年(明治28年)に建設されました。
 いわば「万博パビリオン」です。
 イベント終了後は取り壊す予定であったが、これを惜しむ声が強くなり平安京を創造した桓武天皇をお祭する神社とすることを決定しました。

 当初の建物は、朱丹の応天門、蒼龍・白虎の両楼を従えた大極殿だけでした。
 神社にするため、神様のすまわれる本殿などは後日追加されました。
 また、1940年(昭和15年)には平安京最後の孝明天皇が併祀されました。

 時代祭は、平安神宮のお祭です。御所を出発して、このお宮に帰着します。

 建物の色彩が、伝統的な白木造りの神社とは異なること、あたかも中国宮殿風であることもこんな事情に由来します。



 写真は「竜虎」石像の手水。(虎は、サムネイル画像に)
 こんな意匠は、他の神社にはありませんね。


 ※パリのエッフェル塔は、1889年開催の万国博覧会に建てられてたモニュメントで最新工学技術を誇示する目的であって、やはりイベント終了は取り壊す予定であった。それが、今日パリの代表的なシンボルとなっています。
 由来と知名度は大いに違うが、京都タワーも今や、この町のシンボルとなった感があります。
 万国博覧会に、日本が参加したのはこのパリ万博1889年が最初で、産業振興イベント重要性をこれで認識したのでしょう。すぐに国内で「内国勧業博」を開催しています。
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