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『マオ』の張作霖爆殺=ソ連犯行説について

2006-12-19 21:42:43 | 日本近現代史
(本の感想はこちら→ 上巻 下巻
 1年ほど前に出版された本の話なので、知っている人には今さらという感じでしょうが。

 私が本書を読みたいと思っていた主な理由は、張作霖爆殺事件が関東軍ではなくソ連の仕業であると書かれていると聞いていたからだ。今年の前半に『諸君!』『正論』といった保守系オピニオン誌で中西輝政などがさかんにそのように述べていた。
 で、読み進んでいくうちに該当箇所が見つかった。上巻の「第16章 西安事件」で、張学良の父張作霖についての付記として

《張作霖爆殺は一般的には日本軍が実行したとされているが、ソ連情報機関の資料から最近明らかになったところによると、実際にはスターリンの命令に基づいてナウム・エイティンゴン(のちにトロツキー暗殺に関与した人物)が計画し、日本軍の仕業に見せかけたものだという。》(p.301)

とある。これだけである。
 こ、こんだけ? これだけのものを、中西輝政らはあのように大騒ぎしていたのか? というのが第一印象だった。

 まあ、本書は毛沢東伝であり、張作霖爆殺など枝葉末節の話だから、詳細に触れられていないのは当然と言えば当然のことだろう。
 しかし、この記述は信頼できるのだろうか。
 張作霖爆殺事件が関東軍の河本大作高級参謀の謀略によるものというのは、言わば定説である。それを覆すだけのものが、本書にあるというのだろうか。

 仮に、ソ連の情報機関の資料に、この事件は同機関が行ったものであるとする文書が発見されたとしよう。その資料は全面的に信頼できるものなのだろうか。スパイが評価を上げるために虚偽の業績を報告するという可能性はないのだろうか。
 これは、中西が最近コミンテルン謀略史観の根拠としてよく挙げる「ヴェノナ文書」などにしても同様である。情報機関の報告だからといって、全面的に信頼できるわけではないだろう。また、ソ連側がスパイとして認識していたことと、その当人にスパイとしての認識があったことはまた別の話だ。そういったことはケースごとに綿密に検証されるべきであり、単にそのような文書があるからといって、それだけを根拠に実はだれそれがスパイだった、これこれは謀略だったと断じるのはどうかと思う。

 ソ連犯行説について、瀧澤一郎が『正論』5月号の「張作霖を「殺った」ロシア工作員たち」で検証を試みている。
 瀧澤一郎といえば、防衛大学校教授も務めたソ連の専門家である。昔は共産主義に幻想を抱かない冷静なソ連研究者との印象があったが、この論文を読む限り、最近ではどうもコミンテルン謀略史観にすっかり籠絡されているようである。

《「歴史の真実はいつかかならず現れる」。(中略)田中上奏文は天下の偽書であることが証明されたし、廬溝橋事件を誘発した最初の銃撃は中国側から日本軍を撃ったものだったことが明らかになった。張鼓峰事件もソ連が挑発したことがソ連側の資料からも明らかにされた。(中略)「真珠湾」は対独参戦を目的とした「ルーズベルトの罠」であると疑われていたが、これも(中略)そうであったことがほぼ解明された。すべてを日本の責任とする「東京裁判史観」が崩れ、「自虐史観」にしがみつく反日守旧派は後退を余儀なくされているのが昨今の趨勢である。》

と瀧澤は述べる。田中上奏文や廬溝橋事件はともかく、真珠湾を「罠」と見るのはどうだろうか。「すべてを日本の責任とする」のは公平でないとは思うが、全て連合国側の挑発や謀略によるものであり日本は嵌められたにすぎないと強弁するのもどうだろうか。日本の主体性というものはないのか。

《『マオ』の著者たちがこの情報(深沢註:ソ連犯行説)を引っ張り出したのは、コルパギヂ、プロホロフ共著『GRU帝国①』(モスクワ、二〇〇〇年)というロシア語の本である。
 (中略) 
出版されて間もない頃、筆者はたまたまモスクワの本屋で見つけ、おもしろいので一気に読み終えた。とりわけ張作霖爆殺の「ソ連犯行説」は興味深く読んだが、情報の出所が明示されていないのが気になり、他の裏付け情報が現れるのを待っていた。ところが、出版から五年以上たった今でも、なにも出てこないのである。ここが「ソ連犯行説」の最大の弱みなのだ。この「新説」はロシアの新聞や雑誌でも紹介されているが、根拠となっているのはいつもコルパギヂ=プロホロフ説なのである。
 そこで筆者は、多少迂遠な方法であるが、両氏によって爆殺犯と名指しされた工作員たちの経歴や背後関係を洗い出すことにより、彼等の「張作霖爆殺事件」との関わり合いの有無を考証してみた。》

 そして、瀧澤はその『GRU帝国①』で爆殺犯と名指しされたサルヌィニとエイチンゴンの両名の小伝を長々と綴るのだが、結局事件への関与については、コルパギヂ=プロホロフ説を除けば何も情報はない。ただ、事件直前に在中国のソ連の情報機関が増やされているといった状況証拠はあったと述べるのだが、いかにも弱いという印象。張作霖は基本的に反共主義者であり、殺害についてソ連には日本以上に強い動機があったとも言うが、通説では晩年の張作霖は日本に非協力的になっていたとされており、これも納得しがたい。
 
 瀧澤はさらに、

《一方で、「日本犯行説」も完璧からはほど遠い。》

と述べ、第一に、犯行動機が薄弱であるとして、張作霖は日本に協力的であり、殺しても得るところはなく、実際爆殺により張学良は反日に回ったと述べているが、前述のとおり晩年の張作霖は日本に非協力的になっていたと聞くし、また、昭和期の軍人が非合理的な行動を起こした例はいくらでもある。
 
 また、

《「日本犯行説」の根拠としてよく引用されているのが、(中略)河本大作大佐の「手記」と、作家立野信之の小説『昭和軍閥』である。》

が、前者は中国の収容所で洗脳された河本の義弟によるものであり、また後者は所詮小説であり、ともに信頼性に欠けるとしている。

 この点については、ゆうさんという方が、「南京事件 小さな資料集」というホームページの「張作霖爆殺事件(2)―「KGB犯行説」をめぐって- 」に、

《これを読む方はおそらく、「日本犯行説」の根拠が「河本手記」と「立野氏の小説」しかない、と誤解してしまうのではないでしょうか。前のコンテンツを読んでいただいた方にはもう説明の要もないでしょうが、もちろんそんなことはありません。河本自身が語った記録だけでも他に「森記録」があり、さらに「河本から直接犯行の告白を受けた」とする証言も、小川平吉鉄道相をはじめ多数あります。》   

とし、河本手記の信頼性についても問題はないと述べておられるのを見つけた。だとしたら瀧澤の理屈は成り立たない。これまでこの事件について冤罪説が全くなかったことからも、私は日本犯行説に説得力を覚える。
 なお、河本手記は、戦後『文藝春秋』に発表されたものが、同社の『「文芸春秋」にみる昭和史』第1巻に収録されているが、 これを読む限りさして不自然な点があるとは思えない。

 ただそれでも、河本が、ソ連の指示を受けて、あるいは教唆されたり支援を受けたりして、事件を起こした可能性は残る。しかし今のところそのような証拠はないようだ。河本自身がソ連のスパイでその指示を受けて実行したならともかく、仮に教唆や支援を受けたとしても、それで事件がソ連の犯行ということにはならない。それは日本の犯行と見るべきだ。

 瀧澤は、次のように結論づけている。

《以上、張作霖爆殺事件については、「ソ連犯行説」も「日本犯行説」も、現段階では、決定的説得力に欠けていることがわかる。しかし、「日本犯行説」に数々の捏造疑惑があるのに反して、「ソ連犯行説」は、もう一つ二つソ連側の資料が出てくれば決着する。これは単に時間の問題であるような気がする。》

 かなりの強弁だと思う。日本犯行説が多くの根拠を持つ定説である以上、ソ連犯行説はそれを上回るだけの重要な証拠がでてこない限り、認めるに足らないのではないだろうか。

 瀧澤は、さらにこう締めくくる。

《さらに言えば、歴史の大きな流れがある。すでに指摘したが、昭和戦争史のすべての重要事件を日本の「犯行」とする「東京裁判史観」が崩れつつあるのだ。張作霖爆殺問題も解明され、この「捏造史」が完全に崩れ去り、日本人が「自虐史観」から自由になる日もそう遠くはあるまい。そのときこそ、戦後が本当に意味で終わり、新生日本が誕生するのである。》

 瀧澤は、実はマルクス主義者なのだろうか。「歴史の大きな流れ」という言葉は、マルクスボーイがよく口にしたという「歴史の必然」を想起される。そんなものは存在しない。歴史に法則はない。
 それとも瀧澤は、今後は東京裁判史観に代わってコミンテルン謀略史観が主流になると見て、それにすり寄っているのだろうか。かつて、戦時中に皇国史観を唱えていた者が、敗戦後は何食わぬ顔をして東京裁判史観に同調したように。
 全てを日本の犯行とするような見方は否定されるべきだと思うが、同様に全てを連合国やコミンテルンの謀略とする見方も否定されるべきだろう。戦後の占領期に起きた下山事件などの怪事件を、全て米軍など権力側の謀略とする見方がはやったことを想起させる。さらに言えば、共産主義者とは、失敗は全て敵や裏切り者の仕業であり、自らは全く悪くないと考えがちなものだが、私は瀧澤や中西にも同質のものを感じる。

 あと、瀧澤の文中に「歴史の真実はいつかかならず現れる。」とカギカッコが付いているのは、誰かの名文句なのだろうか。しかし、それは正しくない。真実がわからないままうずもれてしまう歴史などいくらでもあるではないか。

 ちょっと検索したら、『マオ』については、多くの批判的な評価があることがわかった。
大沢武彦氏のブログ「多余的話」の[『マオ』書評]『春秋』2006年10月号原稿
・セミナー: ユン・チアン『マオ』を読む
ただ、そうした評価が専門家の業界内にとどまり、一般読者に向けてあまり発信されていないように思う。
 張作霖爆殺=ソ連犯行説の批判については、上記のゆうさんのホームページのほか、下巻の感想を書いた際に述べた矢吹晋による論評や、以下のような記事もあり、参考になる。
・GAKUさんのブログ「Internet Zone::WordPressでBlog生活」の「張作霖爆殺事件について

本間政府税調会長の報道でちょっと気付いたこと

2006-12-19 21:02:39 | マスコミ
ホンマに逆風 政府税調会長問題 与党に進退迫る動き(朝日新聞) - goo ニュース

《問題の発端となったのは、東京都内の一等地の官舎に家族ではない女性と同居していると報じた11日発売の週刊誌報道。》

 「家族ではない女性」って・・・。
 新聞としては、「愛人」という言葉は禁止用語なのだろうか? 品位に欠けるとか?

 産経も、「入居資格のない女性と同居していたとされる問題」としている。

 読売は、(本間税調会長、宿舎入居問題で進退論強まる(読売新聞) - goo ニュース

《官舎に不適切な形で入居していると報道された政府税制調査会の本間正明会長》

と、どう不適切なのか明らかにすらしていない。

 しかし、各社のサイトで「愛人」で記事を検索してみると、いろいろ出てくるから、必ずしも禁止用語ではないらしい。
 とすると、この問題で、週刊誌は「愛人」と報道するが、新聞としては「愛人」という言葉は使わない、としたのだな。
 これは、談合ではないのかな。偶然なのかな。