トラッシュボックス

日々の思いをたまに綴るブログ。

石田衣良の「いじめられている君へ」

2006-12-07 23:59:02 | 珍妙な人々
 いじめ問題が騒がれ出してから、『朝日新聞』に、「いじめられている君へ」、あるいは「いじめている君へ」と題する、各界著名人によるメッセージが連載されている。
 今日は、作家の石田衣良が登場。サイレントマジョリティを考慮することで最近物議を醸したあの方だ。
 石田衣良は、まずこう述べる。

《これからほんとうのことだけを書きます。ぎりぎりに追い込まれた人には、理想や慰めより真実のほうが救いになることがあるからです。
 日本ではすべての集団でいじめがあります。教室だけでなく、職員室でもPTAでも変わりありません。》

 文科省でも国会でも、テレビ局や新聞社でもいじめはあるという。
 そして、いじめはなくならない、自分も、悔しいけれど、あなたには何もしてあげられないという。

《ただぼくはあなたが自殺することだけは禁じます。あなたはあなただけではなく、たくさんの人の思いを受けて生きている。いまのあなただけでなく、未来のあなたにも責任がある。状況は厳しいかもしれない。でも、永遠には続かない。》

 そして、「あなたを殺さないものは、あなたを強くする」というニーチェの言葉を引いて、

《強くなってください。まわりの正しいオトナたちより、もっと大人になってください。死んだふりをして、苦しい時間を生きのびてください。そして、いつか笑いながら光の中を歩いてください。あなたが生きていることが、きっとだれかの力になる。その日は必ずやってきます。》

と締めくくっている。

 「ほんとうのことだけを書きます」という割には、きれいごとで済ませているなあというのが第一印象。
 「あなたが生きていることが、きっとだれかの力になる。その日は必ずやってきます。」そんなことは誰にも言えない。一生やってこないかもしれない。

 「あなたが自殺することだけは禁じます」と言うが、人は、自分に権限のないことは禁ずることはできない。何で赤の他人の自殺を石田衣良が禁じ得ようか。
 この人は作家であるはずだが、どうしてこうも言語感覚が粗雑なのだろう。

 大人社会でもいじめがあるという。なるほどあるだろう。しかしそれは、子供社会のそれとは異質なものだろう。そして大人には大人なりの対処法がいろいろある。いじめられる子供には多くの場合それがわからない。学校に行くことが当然とされているから逃げ場もない。そこが問題なのではないか。

 自殺を禁じた上、「強くなってください。」「死んだふりをして、苦しい時間を生きのびてください。」とは、死んだ気になって、いじめに耐え続けろ、我慢しろということなのか。どうもよくわからない。誰もがそんなふうに「強く」はなれない。

 ただ、「状況は厳しいかもしれない。でも、永遠には続かない。」という一節だけは全面的に正しい。
 私には、自殺は絶対にだめだなどとはとても言えない。ただ、少しでも、本当は自殺などしたくないという気持ちがあるのなら、何とかほかの回避方法を探ってみるべきではないかと思うだけだ。学校など、長い人生のうちごく一部を過ごすだけの場所にすぎない。

 いじめた生徒を出席停止にという提言は見送られたそうだ。教育を受ける権利に対する侵害だというのだろう。いじめられた生徒が不登校になったとすれば、いじめた生徒はいじめられた生徒の教育を受ける権利を侵害していることになるはずだが。加害者がのうのうと登校し、被害者が不登校を余儀なくされる、そういう状況にさして問題はないと文科省は考えているのだろうか。