人類学のススメ

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文献解題・日本人の起源の論文1.「再考・奥州藤原氏四代の遺体」(埴原 1996)

2013年12月22日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

 中尊寺に所蔵されている藤原四代のミイラは、昭和25(1950)年に金色堂が補修される際に人類学者で東北帝国大学名誉教授の長谷部言人[1882-1969]を団長として組織された「藤原氏遺体学術調査団」により、昭和25(1950)年3月22日から同年3月31日まで調査されました。この調査団は、人類学・法医学・医学・微生物学・植物館・理化学・保存科学・古代史学等の専門家が結集し、学際的に調査が行われています。この調査結果は、調査が行われた昭和25(1950)年8月30日に資金援助を行った朝日新聞社から『中尊寺と藤原四代』として公表されました。

 藤原氏四代とは、以下の人々をさします。 

 初代:藤原清衡[1056(天喜4)-1128(大治3)]

 第2代:藤原基衡[1105(長治2)-1157(保元2)]

 第3代:藤原秀衡[1122(保安3)-1187(文治3)]

 第4代:藤原泰衡[1155(久寿2)・1165(長寛3)-1189(文治5)](*伝聞としては、藤原忠衡のものとされていた)

◎埴原和郎(1996)「再考・奥州藤原氏四代の遺体」『国際日本文化研究センター紀要・日本研究』、第13集、pp.11-33

 人類学者の埴原和郎[1927-2004]は、1994年のある日、中尊寺による依頼で短時間遺体を直接観察する機会を与えられました。その結果は、1996年に論文として公表されました。

 論文は、以下のように、全7項目に分けられて論考されています。

  • はじめに
  • 遺体の同定について
  • 遺体のミイラ化の問題
  • 奥州藤原氏の出自
  • エミシの人種的系統
  • 遺体にみる貴族的特徴
  • むすび

はじめに(省略)

遺体の同定について

・古畑種基等(1950)による血液型判定

 清衡(AB)・基衡(A)・秀衡(AB)・忠衡[泰衡](B)で、母親の血液型が不明であるが、親子として矛盾はない。

・鈴木 尚(1950)の計測値を、類似度係数(Qモード相関係数)を計算してクラスター分析を行った。計測項目は、6項目[頭骨最大長(1)・頭骨最大幅(2)・バジオンブレグマ高(3)・頬骨弓幅(4)・上顔高(5)・鼻高(6)]を用いた。

Hanihara1996a

頭骨計測値のQモード相関係数に基づく樹状図(埴原 1996)の図1・2より引用

 上の図より、清衡と基衡、秀衡と泰衡の2つのグループができている。つまり、それぞれが父子である可能性をしている。但し、母親の形態が不明である。長谷部言人(1950)が指摘したように、基衡と秀衡の遺体が入れ替わっているかどうかの結論は出せない。将来的に、DNA分析を行えば信頼性の高い情報が得られるはずである。

遺体のミイラ化の問題

 遺体がミイラ化した成因については、自然説と人工説とが提唱されている。本報告者の埴原和郎は、1951年に小倉で朝鮮戦争による戦死体の個人識別を3ヶ月間で約1800体行った。その経験から、ウジが発生した場合は短時間で内臓が喰いつくされ、大動脈のような大きな血管も形を留めないことが多い。藤原氏四代の遺体を観察すると、戦死体で経験した状態とよく似ており、自然腐敗が進んだ結果と考えられる。

奥州藤原氏の出自

 鈴木 尚(1950)が計測した項目6項目(前出)に鼻幅を加えた7項目で、泰衡を除く3遺体について多変量解析モデルによる分析を行った。樹状図を描くと、以下の図になる。

Hanihara1996b

頭骨計測値7項目のQモード相関係数に基づく樹状図(埴原 1996)の図3より引用

 藤原氏の3人は、現代の京都人に最も近く、時代の近い鎌倉人や近世のアイヌとは遠く、居住地を共有する東北人とも異なっている。

エミシの人種的系統(省略)

遺体にみる貴族的特徴

 鈴木 尚は、大名家の遺骨を調査し、「貴族的特徴」を指摘している。それらは、著しい高顔(面長)・狭顔・狭鼻・高い鼻稜・華奢な上下顎骨等である。藤原氏4遺体に共通して見られる特徴は、高く鋭く秀でた鼻稜・浅い鼻根部の陥凹・狭く高い梨状口・鋭い梨状口下縁等である。

Hanihara1996c

頭骨計測値6項目に基づく樹状図(埴原 1996)の図8より引用

 藤原家3人をみると、貴族化が著しいのは基衡であり、清衡と秀衡は、伊達家や一般集団に近い。このことは、エミシの系統に属する安倍家との婚姻が影響しているのかもしれない。家系図によると、基衡の母は京都系(平氏)だが、清衡と秀衡の母はいずれもエミシ系(安倍氏)である。但し、同時代の鎌倉時代の一般集団とは違いが相当に大きく、藤原家の人々は当時の一般集団に比較して高度に貴族化していたというべきだろう。

むすび(省略)

註:表1~表5及び図4~図7・図9は省略しました。

*以下は、国際日本文化研究センターのフリーアクセスにリンクしています。

埴原和郎(1996)「再考・奥州藤原氏四代の遺体」


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