東京に70年住んでいるが、JR上中里駅を利用したのは、初めて。
一つしかない改札を出る。
駅前はガランと何もない。
都内のJR駅では、利用者数が下から2番目だとか、なるほどと納得。
駅前の坂を右へ上るとすぐ、平塚神社への石段がある。
▽平塚神社(上中里1-47-1)
石段を上ると本殿の右へ出る。
鳥居をくぐらずに本殿に参るのは、抵抗感があるのは、なぜだろう。
だから、鳥居まで戻って、入りなおす。
鳥居には「文化十年」、「九月吉祥日」と刻まれている。
鳥居右側に社号塔が3基もある。
まず自然石に「平塚神社」。
ついで見上げるような高さで「郷社平塚神社」。
そして、「平塚大明神」。
「大明神」の台石には、盃状穴がいくつか見られる。
広い境内に石造物は、ほとんどない。
あるのは、車ばかり。
参道が貸し駐車場になっている。
厳かさなど望むべくもない。
石造物がないから、境内社でも紹介しようか。
菅原神社。
大門佐紀稲荷神社
御料稲荷神社
石室神社
本殿前の狛犬は、谷底から這い上がろうとする子獅子とそれを見守る親獅子か。
次の目的地「城官寺」は、かつての平塚神社の別当で、道路を挟んで反対側にある。
▽真言宗豊山派・平塚山安楽院城官寺(上中里1-42-8)
城官寺とは珍しい寺号だが、開祖山川城官の名を採ったもの。
由来については、後ほど触れる。
石造物が少ない平塚神社に比べると城官寺は多い。
まず、山門前から。
「本尊阿弥陀如来」石塔。
「多紀桂山一族墓」は、幕府の医師多紀桂山とその一族の墓が墓所にあるということか。
「西国六番 大和壺坂寺」は、江戸で西国三十三番札所を巡れるように模したもの。
「弘法大師」文字塔もある。
境内に入ると右手に地蔵群。
5基それぞれが大きさもばらばらなので、六地蔵ではなさそう。
しかもそのうちの一つの台石には、盃状穴が見られるので、どこかの辻におわしたものか。
城官寺は、真言宗になる前は、浄土宗寺院だった。
その名残が地蔵像群に見られることになる。
地蔵群の横には、立派な宝篋印塔。
明和元年(1764)の銘がある。
徳川家廟所前にあった奉献灯籠もある。
大猷院とは、家光の法号。
開祖山川城官は、家光に仕える武士だったが、家光が病に倒れた時、平塚神社に願を立てた。
そのお陰か、平癒した家光は感謝して、200石を寄進、小庵を平塚神社の別当寺に改め、山川の名をとって、城官寺としたという逸話が残っている。
面白い庚申塔がある。
足元を注視されたい。
三猿が置物なのだ。
こうした庚申塔は初めて見た。
石の蛙もいる。
寺の境内でよく見かけるが、どうした意味合いがあるのだろうか。
どうせろくでもないこじつけがあるのだろうが。
城官寺の裏口を出て、右へ。
住宅地の中に庚申堂がある。
▽上中里庚申堂(上中里1-41-1)
享保六年(1721)で、三面八臂の剣人青面金剛像。
保存が行き届いていて、信仰篤い人たちがいるこをほのめかしている。
足元の三猿は、どなたか陶芸家の方が作られたのでしょうか。可愛らしかったです。
真言宗ということは、佐渡の真野の国分寺と同じですね。