十条台の大半は、中央公園や自衛隊駐屯地で占められている。
そしてこれらの地域は、戦前、陸軍東京第一工廠でした。
だから、石造物もその関係のものばかり。
石仏など寺社関連のものは皆無です。
その十条台の変遷の歴史を物語っている建物が、中央公園文化センター。
▽北区中央公園文化センター(十条台1-2-1)とその周辺
戦前の陸軍第一工廠本部、戦後は在日米軍「キャンプ王子」の司令部だった。
返還後は、北区の文化活動の拠点となっています。
文化センター前の銅像は、世界平和を祈念して、彫刻家赤堀信平氏が区に寄贈した母子慈愛像。
文化センターに向かって右に立つ石柱は、「皇后陛下行啓記念」。
昭和18年造立で、文、書は、当時の東京第一陸軍工廠長によるもの。
十条台の石造物らしい石造物です。
文化センターに向かって右の道を行く。
鉄製の円筒物は、銃砲製造のためのボイラー。
英国製だというから、ここで製造された銃弾が、英兵の命を奪ったこともあったことになる。
古墳の石室もある。
1400年前の古墳時代、人が住んでいた横穴式石室が、発掘時のまま、保存され、見ることができる。
しかし、発掘されたのは、ここではない。
赤羽台4丁目2番の星美学園の校内地で、昭和57年、東北新幹線建設予備調査中、見つかったもので、石室をそのまま切り取って、移設し、ここに展示しています。
暗くてカメラではよく撮れていないが、石室の中には、人骨とともにガラス玉、菅玉・耳飾りの装身具のほか、刀、矢などの武器類も見られます。
十条台に多い石造物としては、旧陸軍の倉庫や外壁に使用された赤レンガが挙げられる。
代表的な建造物が、北区中央図書館。
赤レンガ倉庫を近代建築と融合し、図書館として、再生しています。
赤レンガ外壁の再利用は、十条富士見中学校(十条台1-9-33)とJR埼京線の間の塀に見られる。
北区教委の説明板がある。
十条台1丁目一帯には旧陸軍の東京砲兵工廠銃包製造所が所在していました。この製造所は、日露戦争の行なわれていた明治38年、小銃弾薬の増産を図るために現在の東京ドーム周辺から移転してきた工場で、約10万坪の敷地に煉瓦造の工場等が建てられていました。本校とJR埼京線の境界に現存する煉瓦塀は、その製造所の西側の敷地境界にあたり、煉瓦に残されている刻印から、葛飾区の金町煉瓦製造所の煉瓦が使われていることが判りました。 北区教育委員会 |