石仏散歩

現代人の多くに無視される石仏たち。その石仏を愛でる少数派の、これは独り言です。

136 目黒不動の石造物 24 本堂裏大日如来

2018-12-09 07:51:47 | 寺院

本堂石段のカラフルな列は、護摩焚きに向かう坊さんたち。

本堂内は撮影禁止なので、パス。

広縁を通って、時計回りに進むと、本堂真裏で巨大な大日如来銅像に出会う。

今は、みんな、ここに大日如来があることを知っているから、本堂裏へ向かうが、普通は、本堂で参拝したらそのまま立ち去るだろう。

昔は、よほどのもの好きが、本堂裏まで足を延ばして、さぞかしびっくりしたことだろうと思う。

 

大日如来の前には、灯籠が一対。

上方に、朱文字で「釈迦/阿弥陀/薬師」と刻され、下方に「寛文二壬寅年/奉建立石灯籠両基/十二月十五日/為保雲壽貞居士證大菩薩」との刻銘がある。

『郷土目黒NO40、平成8年』の「目黒不動の金石分一覧」によると、保雲壽貞の俗名など人物像は不明だが、境内3基の石造物にその名があるのだという。

 

大日如来は、総高3m85cm、座高2m81cm。

連座に銘刻があり、「本海上人、遍照院山海、本明院暁海」の3木食上人が願主となり、延宝3年(1675)、「武州江戸之住鋳物師横山藩右衛門尉政重」により、鋳造されたことが分かる。

鋳造8年後の天和3年(1683)、瀧泉寺権僧正圓山享順が、衆僧34人を従え、開眼供養をしたことも刻されている。

連座には、「目黒村/嶋村市郎兵衛」他、「為菩提」として、多数の名前が刻まれている。

大日如来に向かって左にステンレススチールの縦長説明板がある。

四段に分かれていて、上から「大日如来覆屋を建設した清水建設による設計意図、次は、二十八宿図、その下が、瀧泉寺による二十八宿図の解説。そして、最下段は、この大日如来を文化財に指定した目黒区教育委員会の説明。

まず、最上段の清水建設の設計意図。

 胎蔵界 大日如来 光背 覆屋二十八宿図 荘厳平成22年の大日如来像保存修復に続き、翌年には覆屋を復興し、光背を新設致しました。雨水や落葉等から如来像を守る覆屋は、四方から礼拝できる開放的な造りです。屋根はアルミ鋳物を採用して軽量化の上、Vプロセス鋳造法により自然な局面を持たせ内側の梁には施盤削出し鋼材溶着、金色塗装にて描写した二十八宿図が輝きます。
光背はアルミ鋳物に金箔を押し、気囲碁から光を取入れ、大いなる日輪を表現しました。
                            清水建設株式会社

屋根裏に描かれているという二十八宿図は、光の具合か、よく見えなかった。

次は、その二十八宿図。

そして、瀧泉寺による二十八宿図の説明。

大宇宙の仏である大日如来の頭上にえがかれた二十八宿図は、太陽・月・星の位置と動きを表し、生活の上では天文学、暦、占星術に古来より密接に関係します。
 西洋の星座(黄道十二星座)は、太陽の通り道(黄道)を十二か月かけて通ります。
 それに対して『二十八宿』は、月の通り道(白道)に二十八の星座を作り、月が一日に一つ、この星の宿、星宿を尋ねて天空を旅します。
 また四方は七宿ごとにまとめられ、東方青龍、北方玄武、西方白虎、南方朱雀の四神に見立てられました。
                  平成23年3月 瀧泉寺

最後に、目黒区教育委員会による大日如来の説明。

 銅造大日如来坐像
    区指定文化財(昭和59年3月31日指定)
               下目黒3-20-26
蓮華座に結跏趺坐しているこの座像は宝髪、頭部、体躯、両腕、膝等十数か所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹き寄せの技法で造られています。総高385cm、座高281.5cm、頭長は121cmで、体躯に比べ頭部を大きく造るのは代仏像共通の特色であり、面相も体躯も衣文表現もよく整っています。
現在は露座となっていますが、『江戸名所図会』の「目黒不動堂」の挿図より、江戸時代には堂舎の中にあったことがわかります。
台座の蓮弁には開眼の年、入仏開眼供養の際の同士僧侶の歴名が刻まれるとともに、多数の施主名と供養社名が見えることから、大衆による造像だったことがうかがえます。また、刻銘から制作年の天和3年(1683)と制作者が江戸に住む鋳物師横山藩右衛門尉政重であることが分かることも貴重です。
                   平成21年3月 目黒区教育委員会