○心法寺(浄土宗)
東京都千代田区麹町6-4-2
寺の所在地を「千代田区」と書くことは、これまでなかったし、これからもないだろう。
なぜなら、千代田区に寺は一つしかないから。
「心法寺」が、その唯一の寺なのです。
寛永13年(1637)、幕府は江戸城西方の防衛線強化のため、外濠工事に着手する。
そのため濠の内側の寺は、強制的に外濠の外に移転させられた。
千代田区に寺がない、これが大きな理由です。
「塩地蔵」は、本堂に向かって左手に2体小屋囲いされている。
「地蔵尊のお体に塩をぬってお参りをする」ために塩化作用でお地蔵さまの顔もからだもとろけてしまっている。
もともとは墓地にあったのだが、33年前、本堂の新築時に現在地に移し、新しい地蔵を加えて2体にした。
新しい地蔵のお顔も目鼻立ちが無くなりつつある。
33年という時の流れを考えると塩害は予想以上のもののようだ。
○宝塔寺(真言宗・智山派)
東京都江東区大島8-38-32
小名(しょうみょう)院宝塔寺の院号は、寺の南を流れる小名木(おなぎ)川に因んだものだろう。
境内におわす「塩舐め地蔵」は、供えられた塩をぬると「いぼ」がとれることから「いぼ取り地蔵」とも呼ばれている。
塩で崩れて、顔と体は分かるが、原型を想像することもできない。
むかし、行徳方面から江戸市内に塩を売りに行く行商人たちは、必ず船を停めて「塩舐め地蔵」の足元に一握りの塩を奉納したという。
奉納した日は売り切れ、怠った日は売れ残る噂は本所深川の粋筋に流れて、料亭玄関の盛り塩も「塩舐め地蔵」のご利益にあやかったもの、とは寺のパンフレットの宣伝文句。
「塩舐め地蔵のお札あります」。
お札代300円。
お札とはお守りのことだった。
うっかりして効能を訊き忘れてしまった。
○亀戸天神
東京都江東区亀戸3-6-1
行徳からの塩売り商人たちが塩を献じた場所が、江東区にもう一カ所ある。
亀戸天神。
塩を奉納されているのが、地蔵ではなく狛犬なので、この「塩地蔵図鑑」に入れてはいけないのかもしれないが、ちょっと触れておきたい。
雪と見間違うばかりの一面の塩の上に犬が立っている。
商売繁盛、諸病平癒の「お犬さま」だが、特にイボ取りにいいのだそうだ。
台風などで風が強い時、商人たちは隅田川から堅川に舟を繋いで風待ちをした。
暇を持て余して天神様を詣で、ついでに「お犬さま」に塩を供えたのがことの始まりだと言い伝えられている。
しかし、肝心の亀戸天神ではこれを確証のない話だとして「お犬さま」を神社のHPに載せていない。
○回向院(浄土宗)
東京都墨田区両国2-8-10
回向院の「塩地蔵」は一等地におわす。
場所は申し分ないのだが、像は黒っぽく、全体が風化してメリハリがなく、印象が薄い。
「塩地蔵」としてちょっと変わっているのは、願い事をするためにお地蔵さんに塩を塗りつけるスタイルが多いのだが、ここでは願い事が成就したら塩を奉納することになっている。
だから風化は塩の浸食作用によるものではなく、長い年月による自然の風化だということになる。
足元に袋に入った塩が積まれている。
ご利益があったことになる。
前立腺障害を抱える身としては、真面目に拝みに行こうかなと思ったりするのです。
○浅草寺
東京都台東区浅草2-3-1
通称「塩舐め地蔵」は銭塚地蔵の本尊分身なのか、銭塚地蔵堂前の「カンカン地蔵」なのか分からない。
銭塚地蔵堂内 カンカン地蔵
電話で確かめようとしたが、銭塚地蔵の電話番号が「現在使われていません」と繋がらないのでお手上げ。
「銭塚地蔵堂」についての、浅草寺の「説明板」には「お堂には石造の六地蔵尊が安置されており、(中略)毎月、四の日と正、五、九の各月二十四日に法要が営まれ、参拝者は塩と線香とローソクをお供えする。特に塩をお供えするので塩舐め地蔵の名もある」とある。
文脈としては、地蔵堂内の六地蔵が塩なめ地蔵としか読めないが、カンカン地蔵を目にすると途端に六地蔵説は揺らいでしまう。
カンカン地蔵の説明板は「付随の小石で仏をごく軽くたたきお願いごとをする。石で叩くとカンカンと音がなるのでカンカン地蔵と称されている」と書いてある。
カンカン地蔵は原型をとどめない石の塊となって、無残な姿をさらけ出している。
しかし、小石で軽く叩くとこのようになるとはだれも思わないだろう。
大量の塩をかぶっていたために起きた浸食作用であることは明らかだ。
「浅草寺」の「塩舐め地蔵」はカンカン地蔵だと断言したい。
○源覚寺(浄土宗)
東京都文京区小石川2-23-14
「源覚寺」の別名は「こんにゃく閻魔」。
眼病平癒を願って閻魔さまを拝み、ご利益があればこんにゃくを供える風習がこの寺にはある。
閻魔さまが眼病ならば、「塩地蔵」の専門は歯痛。
2体のお地蔵さんは、いずれも首から上がない。
長年の塩漬けで溶けてしまったようだ。
医学が未発達の時代、病気治癒は神仏に祈願するしかなかった。
そうした゛悲しい時代の匂い゛がこの寺には色濃く漂っている。
○えぼ地蔵祠
東京都足立区加平1-2-5
足立区加平の「えぼ地蔵祠」は探しあぐねた。
ありふれた民家の敷地にあった。
民家の一角に祠があるなんて思いもしない。
あると思わないから、探しても目に入らないこととなる。
なんと地蔵祠のまん前で、この家のご婦人に「塩地蔵はどこですか」と訊いてしまうことに。
訊かれたご婦人も、キョトンとしていた。
「えぼ」は「いぼ」のこと。
仏前の塩を患部に塗る。
無事治れば、倍量の塩を献じてお礼参りとした。
2体の地蔵は異様な形にとろけて、原型を想像すらできない。
かつては毎年9月24日に祠の前に念仏講中が集まり、念仏を唱和したという。
○持寺=西新井大師 (真言宗豊山派)
東京都足立区西新井1-15-1
「西新井大師」の塩地蔵は、山門を潜ってすぐ左、屋台と屋台の間を入ったお堂に立っている。
参拝客は多いが、塩地蔵に足を止める人は少ない。
石に塩はこんなにくっつきやすいのか、とびっくりするほど隙間なくお地蔵さんに塩が塗りつけられている。
この塗られた塩を持ち帰り、患部に塗る。
完治すると倍量の塩を奉納する決まりがある。
いぼだけでなく、タコや魚の目にも効験があるという。
○智福寺(浄土宗)
東京都練馬区上石神井4-9-26
「智福寺」境内には石造物は1基だけ。
「塩上げ地蔵」と呼ばれるその石仏は地蔵の輪郭はかすかにあるものの、原型を思い描くことは至難である。
生花が供えられているが塩は見当たらない。
石仏を埋めるばかりの供塩の行為は、今は廃止されてしまったようだ。
そうした風習が20年ほど前まで続いていたことは、とろけ地蔵の体が物語っている。
○大円寺(曹洞宗)
東京都杉並区和泉3-52-18
「大円寺」の「しお地蔵」は「塩地蔵」ではなく「潮地蔵」と書く。
言い伝えでは、寛永2年(1625)、江戸湾芝浦沖で漁師の網に掛かって引き上げられたことになっている。
風化して顔の目鼻立ちはなくなっているが、これは海中にあったため全身に塩が沁み込んだためと見られている。
「大円寺」は移転寺院で、もともとは芝伊皿子にあった。
芝浦海岸は目と鼻の先にあったことになる。
地蔵の体にしみ込んだ塩分は、海の干満に合わせて仏体を濡れたり、乾いたりの状態に変化させたので「潮見地蔵」とも呼ばれている。
○西照寺(曹洞宗)
東京都杉並区高円寺南2-29-3
海中から引き揚げられた仏像が本尊という寺がある。
高円寺の「西照寺」。
開基したのが日比谷で芝白金に移転し、更に明治になって現在地に移って来た。
海中というのは、日比谷の海だったと寺伝にはある。
この「西照寺」にも砂岩のとろけ地蔵がある。
顔はまるで骸骨のようだ。
当然、塩の作用によるものと思われるが、寺ではそうした塩の奉納があったことは知らないと言っているので、真相はヤブの中。
特記すべきは、造立年。
光背に「承応」の文字が見える。
杉並区内最古の石仏なので、塩地蔵かそうでないのかはっきりさせたいものだ。
(新宿区、渋谷区・・・と続きは「東京都その近郊の塩地蔵図鑑(2)」で)