ヒヨコ・イン・ザ・ワールド

Fukunosukeとhiyokoが綴るブログ。バリ島旅行記とスペイン旅行記だったのですが、最近は色々増えました。

福之助大図鑑(3) 猫が来た日!

2006-07-23 19:19:23 | 
今回はhiyokoが担当します。初登場。

ペットを飼っている方はどなたも、「ウチの子が初めて家に来た日」というのは忘れられないと
思いますが、今回は我が家の思い出をご紹介したいと思います。



1998年11月22日、我が家に待望の子猫が来ました!

ずっと猫が欲しくて、その年の夏、ペット可のマンションをとうとう購入しました。
インターネットで、西東京(旧保谷市)にあるミルトニアというアメショー大好きのブリーダーさんを
見つけ、その子猫たちのあまりに可愛い写真に夫婦共々一目ぼれ。
すぐに連絡して見に行きました。

「見るだけ~」と言いつつ、バスケットを車に積み、お金を銀行から下ろして、って、買う気満々の二人。

お宅にお邪魔すると、わらわらと子猫たちが出てきて、可愛いのなんの。
既に、買おうかどうしようかではなく、どれにしようか、という二人。
とりあえず子猫と触れ合うことに。

その時、夫が腰掛けたとたん、それほど人懐こい感じの子ではなかったのに、なぜか夫の肩に
すぐに乗ってきた子猫がいて。
その瞬間、即決しました、この子にしよう!
それが、福之助です。

この日は写真を沢山撮ったのですが、まだこの当時、デジカメの性能が悪く、普通のカメラと
両方で撮ったため、あまり公開できる写真はないのですが。
まさかブログを始めるなんて、このときは考えもしませんものねー。
我が家に足を踏み入れた記念すべき第一歩の写真は、残念ながらデジカメではありませんでした。
(ごめんなさい、おりおりさん!)




知らない家で、不安いっぱいの福之助。
家中を探索していました。
車中から、家に着いてからもずーっと鳴き通しでした。
可哀想と思い、こちらもずーっと合わせてお返事してあげたのがいけないのか、単なる
おしゃべり男だったのか、今でもよく鳴く奴なんです。

フク「なんだー、この家には階段がないなー。あれ楽しいのになー。」(後日、私の実家に連れて
行ったら、真っ先に階段に行きましたっけ)




ソファにも登ってみます。

フク「これ、ザラザラして最高~!」(このソファーカバー、完璧にフクの爪とぎとなってしまい、
ボロボロ。今はもうありません。。。)




袋にも入ってみます。
もうあたりは真っ暗。でも、まだまだフクの探検は続きます。

フク「これ、入っていいの?」




さすがに、ちょっとお疲れのよう。夫にもたれるフク。
足枕??夫は嬉しい~~~~~!!(涙)
彼はこれまで動物を飼ったことがなく、最初、上手にフクを抱けず落ち込んでいましたが、今では、
強引な抱き方をする私より、宝物を扱うような優しい抱き方をする夫の方がフクの絶対的信頼を
得ています。

フク「この人、撫でるのもすっごい上手。気持ちいいんだー。極楽だよ。それに比べて、
あのオバサン(!)、痛いんだよ!」




爆睡。
一日、緊張の連続で疲れちゃったのね。お疲れ様。
寂しくて夜鳴きするかと心配しましたが、全然大丈夫でした。
この寝顔に我々夫婦、完全にやられちゃいましたー。
それは、今でも続いているわけでして・・・。

ふく「ZZZZZZ・・・・・」



福之助が来た日の様子はこんな感じでした。
これまでの約8年間、沢山の幸せを私達にもたらしてくれました。
これからもきっといっぱいの幸せをもらうでしょう。
ありがとう、フク!

バリ旅行2006番外編(バリの今)

2006-07-03 12:57:28 | バリ旅行2005&2006
■ 苦悩するバリ

バリの経済は、今最悪だそうです。1回目のテロは何とか克服したものの、2回目の
テロ以降、観光客の数が元に戻らないのだとか。なんと言っても観光で島の経済が成り
立つバリ。この状況では、島ごと倒産してしまうのでは? という位、危機的な状況の
ようです。

アマヌサも、35室のキャパに対し、この時宿泊客はわずか10組。スロウなシーズン
とは言え、客室稼働率が3割を切っているというのはかなり深刻な状況じゃないでしょ
うか。昨日の運転手が今日はショップの店番という事も、内情はスタッフの数を減
らしているためかも知れません。そう言えば、当初4月にオープン予定だったブルガリ
ホテルも、始業を10月に延期してしまったみたい。


下の写真はディスカバリーモールです。この最新のモールも、半分はすごく
繁盛しているようですが、巨大な施設の半分はテナントが入っておらず、クローズ状態。
明らかに、デベロッパーの誤算がみてとれます。

バリそのものの魅力が廃れたわけではないとは思います。ひとえにテロの恐怖が、多く
の人達の行く気を削いでいる。観光客でごった返すというのもなんですが、廃れている
バリも、なんだか忍びない。





■ 「出稼ぎ」の夢

この人は、タクシー運転手のワヤンさん。元体育の教師でしたが、食い詰めて今は
タクシードライバーに。観光客相手に仕事をするバリニーズらしからず控えめで、
「いいお土産屋に連れて行ってあげる」などと強要しない。とても誠実な人なので、
今回も指名してお世話になりました。

彼も、バリの現状を憂いています。ただ、彼の問題の捉え方としては、不景気なバリ
で、今後どのように生計をたて、暮らし向きをよくして行くかという事が課題。

彼は、チャンスがあれば、日本またはアメリカ等、先進国への「出稼ぎ」をしたいよう
です。空港まで送ってくれたアマヌサのスタッフからも、殆んど同じ話を聞きました。
すなわち、海外へ出稼ぎに行ったバリニーズが、大金を貯めて帰ってきて、お城のよう
な家を建てて住んでいる。チャンスがあれば、自分も、、、。


ワヤンさんのような、純朴そうな人まで、そんな事を思うようになってきている。
素朴な南洋の島が、西欧の文化や経済と接触し、刺激を受けることで何かが変わって
いく。我々は、バリに行きたいのだけど、その事によって、我々がバリに望む何かが
薄れていく。そんな風に思われて仕方ありませんでした。




■ 失われていくバリ。再生するバリ

ワヤンさんの事は、失われつつあるバリの一例かも知れません。その他にも、例えば
海のゴミには、ちょっと閉口しました。アマヌサのビーチの事です。とてもきれいな
砂、水なんだけど、ゴミがいっぱい。砂浜には、タバコの吸殻、ビールの王冠、プラス
チック等、ゴミが目立つ。さらには海にも、クラゲみたいに漂うビニール袋が必ず。


テロの恐怖、経済の沈滞とそれに反して進むインフレ、汚れていくビーチ。バリを
待ち受ける未来には、明るい兆しが無い様にも思われてしまいます。


しかし一方で、そういう現状を改善しようとする様々な試みも見られます。例えば
フォーシーズンズでは、現地女性を雇ってビーチのクリーニングが常時行われていま
す。これは遠目には、現地の女性が岩ガキかなにかの磯漁をしている情景にも見え、
風物詩っぽく演出されていていい眺めです。

このビーチクリーニングだけでなく、ヌサドゥアの砂浜再生、タートルリリースや、
Jegog等の民族音楽の再認識、アタ製品産業の復興なども、大きな文脈の中では、
バリの魅力を維持し、高めてゆくための試みと言えるかも知れない。


バリの自然や風物は大事な観光資源。そういう事を、誰より彼ら自身が認識している。
だから、観光地としての繁栄のための開発をする一方で、一部では、汚れていくバリ、
失われていくバリを再生、維持しようとする努力がある。旅行者の身勝手かも知れな
いけれど、バリの未来はそういう取り組みの延長にあって欲しいし、いつまでも輝き
つづける、平和な楽園であって欲しい。今回の旅を通じて、そんな風に思いました。


*バリ旅行2006は、これでおしまいです。

バリ旅行2006番外編(アマンの片鱗その2)

2006-07-02 15:25:49 | バリ旅行2005&2006
アマンついでに、もうひとつ。

■ アメニティのこと

この写真は何かと言うと、タダでもらってきた部屋のアメニティです。

ガメてきたんじゃありません。持って帰っていいというので、そうしたまでです。
左下の扇子がお土産によさそうだったので、ホテルショップで売っていないかと思い、
探しに行ったのですが、扇子は置いていないようだったので、ゲストリレーションズ
に聞いてみたんです。


「部屋にある扇子は、売っては貰えないのですか。お土産によさそうなので」

「いくつ必要ですか? 1つだったら、部屋にあるのはお持ち帰りいただいて
 構いませんけれど、、、。」

「え?」


皆様申し訳ありません。この台詞に我々の眼が輝いちゃったみたいです。日本人
観光客代表として、恥ずかしい態度だったかも。ゲストリレーションズは我々の
様子を察しました(←すごく頭切れます。この人)。すかさず、こう言ってくれました。


「他にも、うちわ、ビーチサンダル、ビーチ用のカゴなんかも、部屋にあるのだっ
 たら持っていっていいですよ。」

「うわぁ、そうなんですか。そうなんだ、、、。ありがとう!」


我々がアマンマジックにやられたのは、本当はこの瞬間だったかも知れません(笑)。
他に何かただでもらえるものはないのかな?なんて思う一方、「おのれはアマンに
泊まっているんだぞ!これ以上浅ましいことを考えるな」と自分で自分を叱責しました。
*家内は、部屋のくずかごを手にして、「これ持って行っていいのかなぁ」なんて
 言ってました。

それにしても、変わったアメニティでしょ。その代わり、歯ブラシセットとか、
俗っぽいアメニティはないんですよ。



そうそう、帰りの空港で、ネームタグを付けていなかったボストンバッグに、アマヌサ
のタグが付けられていました。普通、ホテルで付けてくれるタグは、紙ですよね。
ここのは、後々ちゃんと使える立派な黒いネームタグケース。

今度アマンに行くときは、スーツケースのネームタグ全部外して行こっと。
(うーん。懲りていない。)





■ アマンは身近になったのか?

アマンといえば、その昔は「アラブ王族御用達」とか、「マイケルJFの犬が養われ
ている」とか、とかく普通の人は行っちゃいけない孤高の雰囲気ありましたよね。
その当時からすれば、随分行きやすくなったものです。京都の一見お断りの料亭より、
よっぽど敷居が低いです。


そんな身近になったアマンに、やっぱり身近じゃないものみつけました。

アハハ、「ヘリコプターチャーター!」。空港まで行けます。アマンダリ、アマンキラ
にも。もっと飛んで、ジョグジャのアマンジヲまで行けちゃうって。だいたい百万円。
何故かわからないけど「やっぱりこうじゃなきゃ」って、妙に安心してしまいました。

バリ旅行2006番外編(アマンの片鱗その1)

2006-07-02 14:35:05 | バリ旅行2005&2006
今回、初めてアマンに泊まってみて、「みんなが憧れるアマンのよさ」って何だろう?ということを色々考えてしまいました。


と言うのも、到着した時は、それ程感動もしなかったし、良い印象も持たなかったからなんです。「ふーん、こんなものかぁ」という感じ。それが帰る頃には、「あぁ、よかったなぁ、また来たいなぁ」という印象に。この変化の理由はなんだったのかと、考えてしまったわけです。


何故最初の印象がよくなかったのかと言うと、チェックインしたときのスタッフの印象が、ちょっと冷たいというか、いわゆる慇懃な感じがしたんですね。例えると、「チャングムの長官(わかりますか?)」のように、あたりは大変柔らかなのですが、一面、心から打ち解けるような、フレンドリーさ、気さくさが感じられなかったのです。最初、これに「ん?」と思った。
加えて、施設そのものは、競合ホテルにも、我々のようなゲストにも研究し尽くされています。“ガイドブックのあの写真と同じで素敵だね”と思うことはあっても、“予想を超えて素晴らしい”という感想はなかなか持ちにくかった。


ところが、ある事を契機に、アマンに対する印象が変わっていくのです。


ある日、ホテル内のショップに行くと、店番をしていたスタッフが家内に声をかけました。「僕のこと覚えてます?フォーシーズンズに迎えに行った運転手なんですけど。」 「えっ、ホントだ。」確かに、迎えに来てくれたドライバーでした。でも、何で今日は店番なの? 「うん。今日はお店の当番。明日はまたドライバー。何でもやるんです。」その彼が、家内にこう言ったのです。「探していたアタの箱はみつかった?」


実は、どうしても欲しいアタの箱があって、アマヌサへ来る道すがら、何軒か寄り道してもらったのに、希望の箱を買えていない事を彼は覚えていてくれたのです。


「これではどう?」彼はショップにあったアタの箱を見せてくれましたが、「気に入らない」というと、彼はうつむいて考え込んでしまいました。何かいい方法がないか、彼なりに思案にくれている、といった感じです。


たったこれだけのことだったのですが、これまで、ただ「慇懃」と思われたスタッフの行動・態度が、そうではなく、単に徹底して「控えめ」なだけであり、ゲストに対しては、随分親身な感情を持っていてくれているのかも、と思えるようになりました。


そう感じはじめると、スタッフの対応がすごく心地よいものに思えてきました。「今日のご機嫌はいかがですか」、「明日はカメを放すんでしょう? 何匹にしたの?」、「頼まれていたお土産のラッピングはもうできていますよ」、「明日の朝食は是非ビーチクラブで食べなよ」、「今度はいつ来るの? 来年? 来月? 来週?...」ことあるごとに、さまざまなスタッフからやわらかく声を掛けられ、果てはルームサービスの女性(ブログに既出)にも「明日チェックアウトしちゃうんですって? 日本に帰るの? 日本のどこ?」なんて聞かれます。



『みんなが、僕らの事を知っていて、暖かく包んでくれている感じ』



そう、そんな風に印象が変わっていったのです。勿論、これはアマンサービスの“システム”の上に成立していること(一度、遠くから写真を撮られていました。容姿で顧客を識別するためじゃないかと思います)。けれど、そういうシステムだけでは、こんな風にしっとりと人の琴線に触れるような応対はできないはず。これに比べればリッツ・カールトンのサービス(食事をしに行っただけですけど)等は、一見素晴らしい様に思えるけれど、システムに徹底しすぎていて、心があるのか?と思ってしまうくらい。


僕なりに思ったアマンとは、そんなことです。ハードは勿論よいけれど、それ以上のソフトのよさが、他が真似できないアマンの素晴らしさなのかな、と。そしてそういう思いは、滞在が長くなればなるほど、深まっていくのかも知れないとも思いました。今回はわずか2泊。アマンの片鱗をみただけで終わっちゃいましたけど、アマンに滞在するということは、心を癒すことでもある。そんな印象を持ったのです。

いずれこの考えを検証できるといいなと思います。

バリ旅行2006(その13:エピローグ)

2006-07-01 00:57:34 | バリ旅行2005&2006
■(その13)エピローグ■


さて、今回のバリ旅行は、大体こんな感じでした。いかがでしたでしょうか。何だか
すごい大作ブログになってしまいました。全部見てくれた人、お疲れ様です。


1回目の時は、もう島中がキラキラしちゃって、熱にうかされているような旅行だっ
たけど、今回は少し冷静になれた分、バリの色々な側面や現状も見ることができました。
その辺のよもやま話は、この後の後記で少し触れたいと思います(←おい、まだ続く
のか?)。


ともあれ、2回目行ってみての感想は、「バリ、前の時よりも好きになった」です。
こうなってくると、また行っちゃうんだろうなー。今度は、何をするのかなー...。


僕は、東京へ向かう飛行機の中で、バリの興奮をクールダウンしています。
家内は、既に次回のバリ旅行をたくらみ始めているに違いありません。

“あー楽しかったなー。アマヌサをチェックアウトする時、お土産のクッキーをもらっ
たよ。お家に帰ってから食べるよ。次来る時も、連れてってもらえるかなぁ”


*バリ旅行2006、おわり。
  ⇒ でも「バリ旅行よもやま」に続く。