法性は高野八傑の一人。高野山寶性院開基。字は覚圓、正智院明任の神足にして神府独朗、慧辨利快なり。覚海法将に就きて宗義を究め、三寶院憲深に従って事相の源底を叩き、嘗て高野山に法性院を建て盛んに密乗を宣揚し、英彦風猷を慕てその門に集まる者多し。仁治三年1243秋、大傳法院方と金剛峰寺方との争議に連座し出雲国に配流せられ、寛元三年1245十月二十一日謫所において寂す。著に顕密問答鈔あり。師常に同法道範等 . . . 本文を読む
「高野春秋」「(延喜二十一年921十月)二十一日。勅す。檜皮色法衣人襲を贈大僧正空海入定庿所に贈らんと欲す。之を製裁せしむべし、と。天皇(醍醐天皇)今暁霊夢叡慮在る故也。御夢とは、大僧正来現して云く、帝我が為に檜皮色御装束一襲を裁製し野山入定の庿所に贈賜焉云々。天皇甚だ御感也。又御伝に外記日記を引て云く、十月二十一日己卯天晴、野山の勅書少納言平維相之を艸す云々」 . . . 本文を読む
今日は弘法大師号が賜勅された日。
『勅す。琴絃旣に絕へ、遺音更に淸し。蘭叢(らんそう)凋むと雖も、餘香猶ほ播しく。故贈大僧正法印大和尙位空海、煩惱を鎖弃(しょうき)し、驕貪を抛却して、三十七品の修行を全うし、九十六種の邪見を斷たつ。密語を受る者、山林に滿ち、眞趣を習ふ者もの、淵藪を成す。況んや太上法皇久しく其の道を味ひ、其の人を追念す(注1)。誠に天に浮の波濤と雖も、何ぞ石を積の源本を忘れん。宜 . . . 本文を読む