「懺悔道を以て世界を導いていく(田辺元)」という趣旨の発言がありましたが、まさにコロナ後はこの懺悔道を以て日本が世界を指導していく必要があります。
コロナは人類が殺生を重ねたあげくに現出した疫病ですから。
太平洋戦争直後、田辺元は「懺悔道としての哲学」(1948年)を著し、これからの日本は「世界歴史的使命」を持っている。それは「懺悔道」を以て世界を導いていくことである、としました。
田辺元「懺悔道としての哲学」(1948年)より「・・・民主主義国も社会主義国もまた、それぞれに懺悔すべきものをもつのである。もし我国が復興の世界歴史的使命をになうものありとすれば、この両主義のいずれでもなくして、しかも両者に自由に出入する第三の道を発見し実践するにあると考うべきではないか。果たしてしからば懺悔道はひとり我国民の哲学たるのみならず、人類の哲学でもあるのでなければならぬ。人類は総に懺悔を行じて、争闘の因たる我性の肯定主張を絶対無の媒介に転じ、宥和協力して解脱救済へ相互を推進する絶対平和において、兄弟愛の歓喜を競い高める生活にこそ、存在の意味を見出すべきではないか。世界歴史の転換期たる現代の哲学は、特に懺悔道であるべき理由をもつといっても、それは必ずしも我田引水ではあるまい・・」
コロナは人類が殺生を重ねたあげくに現出した疫病ですから。
太平洋戦争直後、田辺元は「懺悔道としての哲学」(1948年)を著し、これからの日本は「世界歴史的使命」を持っている。それは「懺悔道」を以て世界を導いていくことである、としました。
田辺元「懺悔道としての哲学」(1948年)より「・・・民主主義国も社会主義国もまた、それぞれに懺悔すべきものをもつのである。もし我国が復興の世界歴史的使命をになうものありとすれば、この両主義のいずれでもなくして、しかも両者に自由に出入する第三の道を発見し実践するにあると考うべきではないか。果たしてしからば懺悔道はひとり我国民の哲学たるのみならず、人類の哲学でもあるのでなければならぬ。人類は総に懺悔を行じて、争闘の因たる我性の肯定主張を絶対無の媒介に転じ、宥和協力して解脱救済へ相互を推進する絶対平和において、兄弟愛の歓喜を競い高める生活にこそ、存在の意味を見出すべきではないか。世界歴史の転換期たる現代の哲学は、特に懺悔道であるべき理由をもつといっても、それは必ずしも我田引水ではあるまい・・」