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福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

捨身飼虎等の四大前世譚普及の物語るもの

2020-06-14 | 法話
1、弱肉強食は古来不条理の最たるものとみなされてきました。
司馬遷はこの歴史をみて「天道是か非か」といい、宮沢賢治も「よたかの星」で「ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。そしてそのただ一つの僕がこんどは鷹に殺される。それがこんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう。」といっています。
お釈迦様も「弱肉強食」の不条理を見て出家されたとあります。(仏伝に、お釈迦様が王子の頃、地中からでてきた虫を鳥がついばんでいった弱肉強食の世界を見て無常観にとらわれたとある。仏教聖典)
自分も同じ疑問を持ってきました。しかし諸経典をみてこの問題は解決されているからお釈迦様も成道されたのだ、と思い至りました。以下順を追って述べます。

2、捨身飼虎等の四大前世譚普及の物語るもの。
捨身飼虎等の説話は 金光明経捨身品が代表であるが
・梵網経にも「四十八輕戒の十六、為利倒説戒」に「若し身臂指を焼いて諸佛を供養せずんば出家菩薩にあらず。乃至、餓へたる虎狼師子・一切餓鬼に悉く應に身肉手足を捨てて之を供養せしむべし。後に一一に次第に爲に正法を説きて心開き意解せしめよ」とあり、
華厳経十地品にも「として・(初地の菩薩の心構えとして)・・この衆生の為の故に・・・頭目及び手足と肌肉とを施して悔ゆることなく・・」とあり、
その他、賢愚経・菩薩本生鬘論・ジャータカ等にみられるが、これらの経典は印度・チベット・蒙古・日本等に広く普及しています。

3、またインドでは四大塔として、スハタ国の割肉貿鳩塔、ガンダーラ国の捨眼塔、タキシラ国の截頭施人塔、その東方の投身餧餓虎塔の存在が法顕伝や大唐西域記に出てきます(注1)。また「唐大和上東征傳」にも、この四大前世物語が彫られた阿育王塔の記録があります(注2)。
翻って日本でも法隆寺の玉虫厨子に捨身飼虎図があることについてはすでにブログで述べています。


これだけ広く佛教圏一帯にこの自己犠牲物語が広まってしかも多くの場所で碑に刻まれるまでにいたっているのはなぜか。この物語は流血を伴う大変残酷な物語でいずれも正視するに堪えないものです。それをわざわざ刻んでまで残すというのはどういう意図があったのか。単に自己犠牲を衆生に植え付け統治を容易にするため、などという皮相な動機をはるかに超えていたと思われます。

4、結論は捨身飼虎物語等にはお釈迦様出家の動機たる「弱肉強食」の不条理観を抜本的に転換する教えが潜んでいるからではないか、とおもいました。
つまり弱肉強食とは皮相な姿で真理はその逆で、強者は業の深い存在でその業を自覚して輪廻からの救いを求めるべき存在であり、弱者は強者の犠牲になる姿を示すことで強者に仏縁を結ばせ輪廻から救う役目を負うものということです。
「弱肉強食」と見える世界の実際の真理は逆から見た世界つまり「弱救強食」だということを衆生に悟らせるためであったのではないか、ということです。しかし強食側はこの自己の業の深さを自覚できなければ輪廻を繰り返し出期は無いこととなるわけです。六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天。現代風に言えば四次元以下)の世界の弱者はそれより上の世界(声聞・縁覚・菩薩・仏。いはばN次元の世界)からみれば強者であるのでしょう。六道世界の常識(弱肉強食)はそれ以上の世界では非常識で、逆から見なければならないのでしょう。



(注1)法顕傳には「ここ(ガンダーラ国)から東行すること7日、一つの国があり、タキシラ(竺刹尸羅・咀尸羅国・特叉始羅国)国という[註1]。タキシラとは中国語で截頭の意である。仏が菩薩だった時、ここで頭を人に施したので、このように名づけている[註2]。また東行2日、身を投げて餓虎に食わせた所に到る。この2か所にもまた大塔を建て、共にもろもろの宝で飾ってある。諸国の王や臣民は競って供養を盛んにし、散華、燃燈は相継いで絶えない。先の2塔(スハタ国の割肉貿鳩塔、ガンダーラ国の捨眼塔)と合わせて、彼の地の人は名づけて四大塔[註3]という」
註1]【タキシラ国】竺刹尸羅は咀尸羅国、特叉始羅国とも書き、西パキスタンのラワルピンティの西北約30㎞のタキシラを指す。タキシラ、竺刹尸羅はともにサンスクリットの截頭(せつとう)の訛(なまり)という。古代から西北インドの要衝で、前5世紀~5世紀頃まで栄え、1913年以来22年にわたって行われた発掘により、ギリシャ文化や仏教文化の交流が明らかになった。
註2]【頭を施し】いわゆる月光王説話。釈尊が前世に月光王であった時、辺境のビーマセーナ王は月光王の噂を聞き、悪バラモンのラウドラークシャ(労度者)を送って王の頭を求めしめた。王は7日の猶予を得て、王妃、諸臣らと決別し、自ら頭をはねたという。
【四大塔】スハタ国の割肉貿鳩塔、ガンダーラ国の捨眼塔、タキシラ国の截頭施人塔、その東方の投身餧餓虎塔を四大塔という。
・大唐西域記には「咀尸羅国」として「咀尸羅大城の西北七十余里に医羅鉢と羅竜王の池がありその竜池から東南にいくこと三十余里で二つの山の間に入る。卒塔婆がある。、無憂王(アショーカ王)が建てたものである。高さ百余尺。釈迦如来が将来慈氏世尊が世に出でられたときに自然に四大宝塔(スハタ国の割肉貿鳩塔、ガンダーラ国の捨眼塔、タキシラ国の截頭施人塔、その東方の投身餧餓虎塔を四大塔という)が地中より出るであろうと予言されたが、この名所こそその一か所なのである。」とある。)

(注2)「唐大和上東征傳」に、
「阿育王寺に安置す。寺に阿育王塔有り。・・・其育王塔は是れ佛滅度後一百年時に、鐵輪王あり、阿育王と名く。鬼神を役使し八萬四千塔を建つ,之の一也。其塔金に非ず、玉に非ず、石に非ず、土に非ず、銅に非ず、鐵に非ず。紫烏色(カラスの羽のような、艶のある黒色)にして刻鏤は常に非ず。一面は薩埵王子の變。一面は捨眼の變。一面は出腦の變。一面は救鴿の變。上に露盤無し。中に縣鐘有り。地中に埋沒して能く知る者なし。唯だ方基有り。高さ數仞。草棘蒙茸して尋窺あること罕(まれ)なり。晋の泰始元年(265)に至り、并州西河離石の人、劉薩訶といふ者、死して閻羅王界に到り、閻羅王教へて掘出せしむ。晋宋齊梁より唐代に至り、時時造塔造堂す。其事甚だ多し。・・」








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