宥快は 応永23年7月17日72歳でご入滅されています。以下密教辞典等に依ります。
高野山の教学の大成者。宝性院信弘門に入り、事相・悉曇を学び、中院・三宝院・西院・持明院諸流を受傳、その奥義を究めた。信弘をついで宝性院門主。「立川流」を批判して『宝鏡鈔』を著す。山城国山科安祥寺の興雅より安祥寺流も受け安祥寺ともなる。明徳三年(1392)には後円融天皇御所で鎮座法を修し「祈るべき道にはしばし迷ふなよ、かへるみやまの花の白雪」との御製を賜り、奉答して「迷はじな花の白雪ふみわけて、道あるみよを祈るこころは」と歌ったとされる。
「宗義決択集」「大日経疏鈔」等多くの著作があり
南山教学を大成。宥快の学派は宝門と呼ばれ、長覚の寿門と高野山の教学を二分する。
15日まで霊宝館で展示中してあった「丹生明神像」(宝寿院)には丹生明神が宥快に示されたという御歌「あかつきはまだはるかなり高野山、なほもかかげよ法のともしび」の歌が書かれていました。
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