福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

佛教の大意(鈴木大拙、昭和天皇御進講より)・・その29

2017-10-29 | お大師様のお言葉

衆生を苦しみから救うことが兎に角当面の大問題です。ここに菩薩道があるのです。地蔵菩薩は六道を輪廻して衆生済度をやるのです。・・しかしここにまた記憶すべき一事は、菩薩の大悲心なるものは絶対で無限で無目的的であるが、それはただ抽象的に概念的に一般的にしか云はれるのではなくて、一事一物のうえに時間的にも空間的にも具体的に働くといふことです。・・法華経には如来は無量劫の過去に正覚を成じたが、今なおこの娑婆に往来しているといひます。また三界は火宅のやうであるが、これが大悲の対象で、衆生は我が子の如しといひます(法華経・譬喩品に「三界は安きことなし、猶火宅の如し。衆苦充満して、甚だ畏怖すべし。常に生老病死の憂患あり。是如きの火、熾然として息まず。如来はすでに、三界の火宅を離れて寂然として閑居し、林野に安処せり。今、此の三界は、皆我が有なり、其の中の衆生は、悉く是れ我が子なり、而も今此の処は諸の患難多し、唯我れ一人のみ、能く救護を為す。」とあり)
。楞伽経では、大智は有無を超越しているが、しかもそこから大悲が出る、大智と大悲とは両両手を携えていくといひます。維摩経では、衆生が病気だから自分も病気だといひます。このやうな思慮はどこから出るかと考えてみなくてはなりませぬ。善巧方便といふものは大悲の無限定の限定面から発生するのです。思慮計度のない大悲心から思慮計度を有する方便が出てくるのです。華厳の法界はこのやうにして直ちに方便の娑婆世界に聯関してくるのです。

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