福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

ラフカデオハーン「神国日本」より

2021-03-30 | 法話

ラフカデオハーン「神国日本」によれば、以前、日本の家庭は無数の神様、仏様のおられる神聖な場所でした。又職業も神様に見守られていました。こういう日本国を再構築すべきでしょう。

「・・日本人は、その職業がなんであるにしろどの神かが(その職業を)支配していた。どんな道具を使用するにしろその道具はその技芸技術の祭祀に加入している人たちに許されている慣習に従っての作法通りの使用法で用いなければならなかった。大工は大工の神を尊崇して仕事をしなければならない(聖徳太子が大工さんの祖として信仰されてきました)、鍛冶屋はふいごの神を尊んで日々の仕事をなしとげなければならないし(天目一箇神が岩戸隠れの際に刀斧・鉄鐸を造った(古語拾遺)ので鍛冶屋の神とされます)。また百姓は百姓で土地の神や食物の神、また案山子の神、さらにまたその住居の周囲の樹木の精霊を敬うことをゆめおろそかにしてはならなかった。家庭用の道具でさえもがみな神聖なものであった。料理用の鍋やかまど、釜、火鉢などにそれぞれの神々のあることなどわすれてはならなかった。つまり常に火をきれいにしているようにという強いきまりを忘れたはならなかった。(竈の神様は、竈三神といい、奥津彦神(おきつひこのかみ)・奥津姫神(おきつひめのかみ)・迦具土神(かぐつちのかみ)の三神を合わせたものです。奥津彦神・奥津姫神は竈を司る神であり、そこに火の神である迦具土神を加えて竈の神としています。また仏・法・僧の三宝を守護する三宝荒神も竈の神とされます。たとえば今でも高野山金剛峰寺や真別処の台所には三宝荒神様をおまつりしています。修行僧は毎朝この前で立義分というお経をあげます。 農民の間では、春になると山の神が山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻ると信じられていました、また田のそばや井戸、水源地には水神様が祀られていました。今でも私が求聞持行をした徳島の太龍寺などには水神様がお祀りされています。食物の神様で代表的なのが伊勢の外宮にお祀りされている豊受大神(とゆけのおおかみ)で五穀をつかさどる女神です。天宇受売命(あめのうずめ)は芸能の女神、天表春命(あめのうわはる)は 開拓、学問、技芸、裁縫、安産、婦女子の守護神。天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)は 稲穂の神、農業神とされます。トイレには密教道場等では烏枢沙摩明王をお祀りしています。不浄を焼き清めるとされます。)


・・知的な職業も普通のしごとと同じようにやはり神の庇護の下にあった。医師、教師、技術者、皆それぞれにまもるべき宗教上の務めと遵奉すべき特別の伝統を持っていた。学者はその使う筆墨類を粗略に扱ってはならなかったし、ものを書いた紙をほかの用途に使用してはならなかった。そうした不遜なおこないは文字を司る神の心にさからうことであった。・・婦人の場合も・・機織りの神と蚕の神(保食神うけもちのかみ・・頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆を生じた、と日本書紀にある)を敬わなければならなかった。裁縫しごとをする人たちは針を敬うことを教えられていた。どこの家庭でも針の霊魂を供養する一定のお祭り日が守られていた(いまでも多くのお寺の境内には針供養塚がみられます.参考、宮家準「民族と儀礼)・・家の中では土間の奥には竈や水瓶があって竈神や水神がまつられている。台所の自在鈎には山の神がまつられている。納戸は夫婦の寝室で種籾が置かれ、それを守る年神が祀られていて家の中で一番大切な部屋とされている。それゆえ戸主夫婦は種籾が祀られている部屋で年神に守られて子種を宿すと考えられるのである。屋内のオモテ側の出居には神棚があり、氏神の札、伊勢神宮の大麻などが祀られている。座敷には仏壇が作られていて、ご本尊と位牌が安置されている。このようにオモテの空間にはサトの氏神や檀那寺と関係を持つ公のものが祀られている。これに対してウラの側には水神、竈神、年神、山の神など主婦がかかわる私的なものが祀られている。)

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