福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の15/16

2024-07-05 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の15/16

十五、日金地蔵(日金山は熱海と湯河原をまたいであり昔から死者の霊が集まる霊山とされてきた。日金山東光寺には今も延命地蔵尊が本尊として祀られている。)

中古不測の仙ありき。末代上人とぞ云ひける。彼の仙、駿河富士の御岳を拝しふに、三國無双の御山峰は半天をさ々ゑて雲に入り夏の夜なれども霜を副へ麓には郡峰重畳せり。春の日ながらも錦を暴め星は緑樹に連なり海底より出給ふ。されば巍巍たる勢蕩々たる粧、喩に物なし。實に三國無双の名山なり。垂迹浅間大菩薩、法体は金剛毘盧遮那の應作男体に顕し玉ふべきに女身に現じ玉へり。然れば即ち本迹各別なれば末代に不信の衆生多くして二佛の中間に迷ひ済度も又覚つかなく思ひ奉らん。所詮我捨身の行を修して後代の不審を晴らさんと思立て御岳の半ばに坐して、樹下石上にして百日断食して正しく神体を拝奉んとぞ祈りぬ。日數の間命根に恙なく氣力も昌(さかん)にしてありしが滿ずる暁虚空に聲ありて、汝が所願を成ずるべけれども尚汝が坐下より東南の方、一百八歩を去て其の谷の下を掘り見るべしとて失せぬ。教の「如くして見ければ御長一尺八寸(55cm)まします水晶を得たり。形は御岳に少しもたがはず光明赫輝たる玉なり。上人速かに胸中の不審を晴らし合掌して中々妄想境に住めば了すべからずと、其の玉を水晶の岳と白して室を造り宮殿を儲けて奉納、末世の今に至るまで奇特を残し玉へり。其の身は猶も彼の岳に執心して麓の里に村山と白す所に地を卜して伽藍を営み、肉身を斯に納めて大棟梁と号して當山の守護神と現れ玉ふ。凢そ彼の上人は伊豆箱根二所権現をも創草し奉給ひぬ。天平宝字元年(757年)朝廷の命を受けて、万巻が箱根山の山岳信仰を束ねる目的で箱根山に入山し、三所権現(法躰・俗躰・女躰)を感得。(万巻は神託に基づいて、箱根権現を祀る社殿(現在の箱根神社)を建立したとされる)。されば上人常に鐵の履に杖つきて彼の二所の神に参り玉ひしに、道の間も偏に度脱衆生の方便、出離生死の根元をぞ思念し給ひぬ。斯に熱海と云所あり、谷深くして猛火熾盛の煙峰を埋めて晴やらず。烟熱流出して熱泉は谷にたたへて、波を焼く。皆是衆生流転の栖、業報轉果のありさまなり。見るも涙止まらず。上人も心中に滅罪生善の計もあらまほしく思し召して此に徘徊し玉ひけるに、彼の日金の峯より下す嵐は梵音を唱へ、海底の波は錫杖を誦するかと覚へて心肝を動しければ烟しずまり波平かになる。上人不思議に念じ入り玉ひて谷底を見玉ひければ十方無数の炎熱の下に悲しみ恒沙塵数の群類、猛火の底に焦がれしを或は水を洒(そそ)ぎ或は乳を含んで彼を育み、是を助けて猛熱に身を任せ、炎を蒙る衆生を助けて霧漸くはれて雲と共に交て彼の日金の峰に登せ給ふ僧あり。御衣は猛火の衆生を扶持し玉へば、香染の色を成し、解脱同相の目出度き儀(よそほひ)も利益微細の思に沈み、光明遍照の由々敷(ゆゆしき)御相好も度脱衆生の営みに痩黒み玉ひて錫杖打ちかつ゛きて雲に隠れ霞に顕れて登り玉ふ僧を見奉り真に誓願の貴く行業自在の旨も浦山敷く覚へて値遇の縁もあらまほしくて漸く歩み向ひて合掌し、願はくは上人我が身に御手を触れさせ玉へ。来生の結縁にし奉らん。御行機こそ浦山敷く侍れども愚僧行功未だ酣ならざるにより露命に恐れあり。肉身に三昧を證ぜず、未だ飛行を得ず。何如にして上人の通力を以て衆生の苦を抜き樂を与へ玉ふや。何の界にか住し給ふやと問れければ、彼の僧少し打ち笑ひ玉ひて霞の間より現れ玉ひ、吾は久遠實成の内に正覚無垢の主たり。然りと雖も尚も度脱衆生の為に謙して恒河沙の塵垢に交り無数の罪人を友とせり。されば釈尊摩頂の授記を受けしより已来、毎日恒沙の定に入り恒沙の衆生を得度せしめんとするに衆生動(ややもすれ)ば本有の業に誘て我が引接を背けり。彼が為に悪趣に入り、是がために羅刹に言を尽くせり。彼の熱海は炎熱地獄の小端なり。されば小罪軽苦の輩は多く此の所にあり。故に毎日三度つ゛つ峰の嵐とともに下て苦衆を省み、自受法楽の術を授けて彼の日金山に皈るなり。常住所は一切衆生清浄厳持の砌なり。直心舎財の人を我が友とたのめり。慈悲深重の輩は我の一子と思へり。此の外に願誓なし。五逆の人なりとも我に向って懺悔し二度(たび)犯さざれば我其の苦に代わって阿鼻獄に入りてん。此の人は我をば地蔵とこそ白せと消すごとくに隠れ玉ふ。其の邊且く異香薫じて草木も香(こうばし)く侍るほどに覚へず雲を踏み霞に従って山頂に到って拝し奉りければ興建(創立のこと)誰とも知らず。御長一丈(3.03m)計りに在す地蔵菩薩の聖像にて伽藍一宇あり。先に見奉る御僧よりは御長こそ大にましませども、御年の歳の程同じくて思痩せ給へる御ありさま少しも異なることなし。されば上人正に地蔵菩薩の生身を拝しけるよと、六根懺悔の法

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を修し三禮して左の御足を踏み下し玉へるを上人手を伸べて御足を頂に當て奉んとて頭を傾けさしより玉ひければ木像の御足を引き入れ玉ひける。此の御心當は凢夫の境に辨(わきまへ)難きをくをや。其の上人堂を造り再興し玉へば代(よ)の人以て丹誠を運び頗る谷の響に預かりけり。其の後在家出家の信誠の心あれば雲の間霞の隙なんどに相好圓滿して彼の熱海へ影向し玉へば炎氣急に散じ猛火即ちしつ゛まりて、時を經て雲に乗り峰に登玉ふ御皃(すがた)を見奉りたる族(やから)あまたありける。其の靈像今に伊豆國日金の岳に建玉へり。其の後又人の機に随って見奉る現相により彼の熱海の里にも造立し奉り、又日金山の半腹伊豆の路の傍らにも造立し奉る。願主各々にして利済区々なりとぞ承りぬ。志の輩如是の事跡を疑念なく信を取りて一入念ずべし。

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