観自在菩薩冥應集、連體。巻3/6・21/29
廿一清水子安観音の事
清水西門の側泰産寺は田村将軍の姫君懐妊の時、平産の祈誓を清水に凝らし玉ふに依って産生安穏なり。慶喜(よろこび)に依りて建立安置し玉ふ所なりといへり。一説には聖武天皇の御建立なりと云ふ。神亀元年(724)の秋光明皇后ご懐妊にて次の歳の六月は御産の当月ならせ玉ふといへども御悩深くして何時御平産あるべきとも見へ玉はず。帝御歎き浅からず普く天神地祇に御祈ありけり、特に伊勢天照太神宮へ御祈誓おはしましければ或る時御長一寸八分(5㎝)の観自在菩薩宮中に出現し玉ふ。皇后是を拝し玉ひて御悩忽ちに平癒ならせ玉ひ六月に御平産あり。即ち高野天皇是なり。又は孝謙天皇と云ふ。重祚して後は称徳天皇とぞ申しける。或る時天照大神光明皇后の夢に告げさせ玉はく、此の度授かる観音の霊像は佛母摩耶夫人の守り本尊なれども今皇帝の歎きに依りて我が朝に渡り玉ひ難産の苦を救玉ふ。願はくは後世婦女の守護尊とせん事を。今皇后利益衆生の為に山城國某郷に一宇の塔を建立して此の観音の像を安置すべしと宣べ玉へり。是に依りて天平二年(730)清水に三重の宝塔を造立ましまして泰産寺と号し玉へり(子安塔は寛永年間に再建され現在もあり)。尊像安置の節に当たって或る夕暮れに年比二十ばかりの若僧千手観音の像を負ひまひらせ清水に来たりて白さく、此の度宝塔の内へ安置し奉るべき霊像は甚だ小像なるが故に我負奉り来たる、尊像の胸の中に納め奉るべしと云ふ。即ち一寸八分(5cm)の霊像を彼の像の胸の中に納め奉りて安置し玉ふ。爾来平産を願ふ者には必ず掲焉の利益を施し玉ふと云へり。孰れか是ならんや。