goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

「十善法語」その72

2019-11-12 | 十善戒
(教相判釈などが盛んになるのは末世のしるし)

むつかしかるべきではない。唯支那國。中古己來俊邁の士が。自己の智慧を極て向上に言ひなす。其次に出るものは其より上なることを言ひだし。其次に出るものは又其より上なることを言出して。今の教相学に成たことじゃ。佛在世賢聖在世にはなきことじゃ。教相判断が精ても。高くても。身の修りにも。國家の治りにも用に立たぬ。勿論生死解脱の要路に違ひ。佛意にも背くことじゃ。近世の道俗を誘ひ導く者は。易きより易きに就て。我宗門の中には過を改め悪を止るには及ぬと云。持戒禅定も廃すべしと云。識別有ん者は推察し看よ。佛世賢聖在世は。諸天八部。人。道俗男女みな善より善に遷たことじゃ。倶に分に随って持戒禅定も有たじゃ。人に良心あれば。善根の勤められぬと云ふことは有まじきぞ。中古以来。伶利の士が。世に随ひ俗に応じて人を教化す。其次に出者は又世俗に順じ人情に就。その次に出る者は更に世俗に順じ人情に就て。遂に賢聖の正規則を取失ふ様になり下り。悪を作して羞ぬようになり下たことじゃ。近古明恵上人の言に。今の諸宗の者の云通りが佛法ならば。諸道の中に佛法よりわろきことはなきと。此等は見た処ある趣じゃ。今時諸宗の人の云通りが佛法ならば。智愚賢不肖・上下古今に推通じて道とすべきではなきじゃ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 国家危機を救う仏教原理「成... | トップ | 大智度論・・8 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

十善戒」カテゴリの最新記事