福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の12/17

2024-08-07 | 先祖供養

地蔵菩薩三国霊験記 5/14巻の12/17

十二、        火印地蔵の事

文治二年(1186)鎌倉の亀谷に住みける賤女ありしが一子も持たぬ躰なれば旦夕これを悲しみ濱に立給へる地蔵尊に日参して祈求申さく。男女の内何なりとも御授玉はれとぞ丹心を尽くして敬白しけるが、積功累力を薩埵も哀れみ給ふか漸く有身(はらむ)事あり。當月になりて十八日の早旦端厳の女子をぞ平産しけり。十八日に出生したればとて小字(をさなな)を観音とぞ呼びけり。一文不通の野人どもが呼び損じて、かんのうとぞよびけり。素とより貧しかりける身なれば一子をはごこむべき便もなかりける程に、有徳の人待ちけるに彼の處に物に入れ置て使けり。彼の主人夫婦ともに慳貪放逸の者にて哀れを知らぬ無道心のはたらきをさせ日夜に責め使けり。誠に不憫の事云ばかりなし。されば浮世の習、彼の母病悩ありて今を限りなれば此の世の名残に何事をも云ひをきたく思ひ入れしてかくかくの躰に罷り成り侍ると主人の許へぞ申し入れけるに、元来慈仁なき者なれば使にだもあはせざりけり。女の餘りに哀しくて年来久しく持侍りし御長七寸の地蔵尊をとり出し箱の上に安んじ奉り泣く泣く申し奉るは、我が身宿業のほど一善も侍らざればこそ現世苦果の依身を受け、朝夕是の如く駆使せらるる事を哀しみ、形の如く當来の事を祈る、別しては薩埵の本願の深きことを敬ひ分に随って供養し奉る。然るに今日老母重病をうけ此の世を去んとす。子として親につかへまつるは置いて論ぜざる所なり。然りと雖も主人不仁にして片時の看病を許容せず。所詮子として親に死する何の罪かあるべき、御名残はさることに侍れども逃げ去りて老病身を見とどけ後の罪にあい申さん事掌をさす如し。兎も角本願虚しからずんば守護を加給へと佛を局に入れ奉り忍びて夜をこめて逃出、母の處に向ければ唯今息絶んとしける處に娘来ていかにやと云ふ音を聞くと等しく重き枕をあげて涙をながしいかにして来るやと清濁はしれねども言を出してありしが何しけん其の日もくれて息たへず三日すぎて南無地蔵と正念に一唱して終に相果けり。野辺のをくりぞ香華よと哀き心の隙に任せて主人の事を一切に忘れ逃げ出る日より一七日にぞなりぬ。女思ふやう、最早是の如くなりて還りたればとて主人きくべきにあらず、一命を母に奉り未来は地蔵に任せまいらせん、主人の使来て行まで心静かに念佛して母の後生をとひたてまつらんとて泣居たりしが、彼の主人さしも久しくみへざる事を腹立ちして彼のかんのう提て来れ許しもなきに母の方へ逃げて行、我が心の任に行ふべしと怒りければ使の男道にてとらへ来り主人の前に引きすへたり。主人の云く、此の如き不得心の下女輩の庭訓にすべしと火印を焼きて面にさしつめて、母の事や切なる主人の事や大事なるとて責め付けてやきければ目もあてられぬさまなり。然るに七日の中、局の中に押し籠てをきけるに主命なれば免角言をも云ふものなし。爰に日比申しなれにし小女が閨の戸を忍びに扣ものあり。誰なるらんと私(ひそか)に立出て見ければかんのうが声にてこなたへよらせ給へと申す。小女奇異の思をなしてをそれをそれ立ち寄りて見るに露ばかりもあやしき所もなく、常の質(かたち)にてありけり。こは如何なる事ぞと驚きて事の子細を問ければ、いやとよ母の限り無く病み玉ふと聞くからに餘に見たく思ひて暇をも申さずひそかにいでしなり。然るに母にも後れ申せし上は自今已後身を打ち任せて仕へ申さんと存ずるより外はなきのより暇も申さず此の七八日皈りたる罪にいかほどの責めに當らば是非なき事とさて只今参たりとぞ語りけり。不思議ながら主人に件々の事を語り告げ申せば主人も驚き前に呼びすへて見ければ火印のあと一つもなし。容顔別の事なし。こはそもいかなる事ぞと心中に奇怪を思ふて心ならず一言の非をも加へず万事許諾す。かんのう夢の覚たる心地して日比住居する局の中に入て母の臨終に向顔すと云ひ免れ難き主人の切諫なきと云ひ一方ならず仕合せ全く凢事にあらず。日比散乱心ながらも祈求の心を薩埵の照見あそばされてこそ有るらんと例の尊像の厨子の御戸開き拝し奉れば何なる悪人の所為ならむ、御面躰の真中に火印をひしと焼き付けたり。見て一入涕泣して伏し轉びければ主人是を聞き付け急ぎ佛像を迎へ奉りて見るに、我が所為に疑無し。今更歎きて甲斐なき事と一宇を建立して彼の佛を安置し奉りて旦夕非を悔ひて御許しをぞ請ひ申しける。見聞の衆民事を沙汰し侍りければ、錦を戸帳にして秘し奉る由を云て自己の罪を覆ひけり。今現に火印地蔵と申し奉り霊験新に在す。信ずべし慎むべし。己身の信が軽薄にして感を得ざる輩は却って是の如き事を聞て疑を作し佛力の厚重をうらみ奉る痴人面前に夢を説くべからず。

引証。延命地蔵經に云、若し佛滅後一切の男女、我が福を得んと欲せば日凶を問わず不浄を論ぜず父母に孝養し、師長に奉事し、言色は常に和に、人民を枉せず、生命を断ぜず、邪淫を犯さず、乃至、自心正しくして此の経を轉読し、我名を稱ん者は、我法眼威神力をもっての故に業報を即轉し現果を得せしめ、無間罪を除き、當に菩提を得しむ(仏説延命地蔵菩薩経「若し佛滅後の一切男女、我が福を得んと欲せば、日凶を問わず、不浄を論ぜず、父母に孝養し、師長に奉事し、言色は常に和に、人民を枉せず、生命を断ぜず、邪淫を犯さず、若は十斎日、若しは六斎日、若しは十八日、若しは二十四日、但だ自心正しくして此の経を轉読し、我名を稱ん者は、我法眼威神力をもっての故に業報を即轉し現果を得せしめ、無間罪を除き、當に菩提を得しむ」)。

 

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