善財童子の訪問者と教え(華厳経入法界品)6
五番目、南方自在國呪薬城 彌伽医師
この医者は善財がすでに阿耨多羅三藐三菩提心を起こしているときくと座を降りて逆に善財にむかって五体投地をします。ここにも深い意味があるようです。道を求める者には上下などはないということです。
善財童子はいかにすれば現実生活の中で道を求めることができるか?と問いますが彌伽医師は「一切衆生の為に父母となりて衆生を荘厳し、一切 . . . 本文を読む
或人、法然上人に、「念佛の時、睡りに犯されて行を怠り侍る事、如何(いかゞ)して此の障りをやめ侍らん」と申しければ、「目の覺めたらむ程、念佛し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。又、「往生は、一定(いちじょう)と思へば一定、不定と思へば不定なり(極楽はあるとおもえばあるし、無いと思えばない。自分の心が行く先を決める)」といはれけり。これも尊し。
また、「疑ひながらも念佛すれば往生す」とも言は . . . 本文を読む