福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

大乗起信論その6

2013-11-11 | 諸経
云何が二と為す(この二種の意味とは何か)。一は覺の義。二は不覺の義(一は覚り、二は迷いについてである)。所言の覺の義とは、謂く、心體の離念なり。離念の相は等虚空界無所不遍なり。法界一相即是れ如來平等法身なり。此の法身によりて説いて本覺と名ずく(覚りとは心が心・體を離れていること、この妄念を離れた本当の姿は虚空に遍満してあらゆるところにいきわたっている。まさにこの「法身」は本来の姿として本覚と呼ぶの . . . 本文を読む
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幸せになる方法

2013-11-11 | 法話
 今朝いつものように理趣法を修した後、写経をしているときふと「なーんだ皆が幸せになるためには要は全員が互いに助け合う風土をつくればいいだけだ」という思いが突然頭をよぎりました。  最近自分の心のレベルが縮小再生産に陥ってかなり低い状態にあることに我ながら情けなく思っており、なんとかレベルを上げなければと思っていたところでしたが、そういう最中、なにか深いところからこういう思いが突然湧き上がってきた . . . 本文を読む
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大師の時代(榊亮三郎)・・その4

2013-11-11 | 法話
大師の時代(榊亮三郎)その4 大師の入唐は、我が朝では、桓武帝の延暦二十三年で、唐朝の方では、徳宗皇帝の貞元二十年であります、これは何人も知つて居る事で、更めて云ふまでもないが、西暦で申すと、紀元八〇四年でありますから、即ち、九世紀の始めで、二十世紀の今日から、遡りて、數ふると、十一世紀以前の出來事で、當時の世界を見渡すと、亞細亞と歐羅巴との二大陸には、文明の國として見るべきものは、五ある、第一 . . . 本文を読む
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中論第十一章

2013-11-11 | 諸経
中論代十一章・・・輪廻には、究極の始まり、というものはない。 さらに言えば、あらゆるものに、始まりはない。 . . . 本文を読む
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