弘安の役では神社で密教修法を行い、尊勝陀羅尼を誦しています。思円上人(叡尊)は舞殿で尊勝法を修しています。そして「相手は非道の者、こちらは二百五十戒を具し、神祇を敬い、五常(仁、義、礼、智、信)に随い十善を好む民族なのでくらべものにならないはず」と八幡大菩薩に祈願しています。 . . . 本文を読む
弘安の役の模様。壱岐対馬では我が子の泣き声をおそれて『害す』ということが行われました。武士たちは敵わぬことを知りつつ勇敢に向かって行っています。食糧輸送も途絶え京都では餓死するまでになっています。 . . . 本文を読む
『律苑僧宝伝』に蒙古襲来時の興正菩薩叡尊の祈祷がでています。
男山八幡宮で仁王会を開き、愛染明王法を修したとき、八幡宮の中から声がして「上人が外嫡を降さんがため大法を勤修するので吾まさに祐佐すべし。」と言い終わって一筋の光が社殿から西に向かって発したのち大嵐となり、九州では兵船数万隻が沈んだ、とあります。
『律苑僧宝伝』(近江國東方山安養寺の中興開山戒山慧堅(一六四九‐一七〇四)が、中國、日本に . . . 本文を読む
目的を持たぬ国
エマソンはすでに150年以上前に、現代の大衆社会を目的を持たぬ社会(注1)といいましたが今の日本を見てもそのままそっくり当てはまります。こういう状況をとうに見通して安岡は「日本国土は神」であるといい(注2)、鈴木大拙は「霊性日本の建設」(注3)と喝破しました。
(注1「大衆は金持ちになりたがっている人間だ。これがこの階級の愚かしいところだ。苦労し汗水たらしてみても結局どこにも行 . . . 本文を読む
神道大意、卜部兼直撰・・その2
心は則ち神明(かみかげ)の舍(みあらか、家)、混沌(まろかれたる)の宮なり。混沌まろかれたるとは、天地陰陽不分あめつちみぎのわいためなり。喜怒哀楽未発こころばえいまだおこらず、皆これ心の根本なり。心とは一神ひとつのかみの本もととするところなり。一神とは吾わが國常立尊くにのとこたちのみことといふ、國常立尊とは無形の形なきがごときのみかたち、無名の名なずくることなきの . . . 本文を読む
神道大意 兼直撰(卜部兼直、鎌倉時代、吉田神道の神官、冷泉歌人ともいわれた、、吉田兼好の縁戚)・・1
それわが国は天地あめつちとともに神明顕座かみかげのあらわれまします故に、國を神の國といひ、道を神道かみのみちといふ。國とは千堺ちち゛のさかいの根本はじめなり。故に日本ひのもとといふ。天竺漢土は星の形なり、故に月氏つきのくに、震旦ほしのくに、といふ。日は大陽てるたま、月は陽てるたまの耦生たぐひなり . . . 本文を読む
前回の栂尾博士説の続です
。「・・・すなわち孔雀明王の畫像は・・・心蓮を開敷しさえすれば『孔雀明王経』に説ける如き物質的若しくは精神的の吉祥の果実を把握しうることを示したものに他ならない。・・ . . . 本文を読む
神道大意・・吉田兼倶・・5
外清浄とは心を使ふに七の品あり、喜といひ、怒といひ、哀といひ、楽といひ、愛といひ、悪といひ、欲といふこれなり。また形を用ふるに五の品あり、生といひ、長といひ、老といひ、病といひ死という、合わせて十二あり。これすなわち神代の数なり。心を用に神にあらずといふことなく、形を養うに神を離れることなし。喜ぶ心すぎるときは肝臓神いたむ、怒るこころ過ぎる時は心臓神いたむ、哀む心すぎ . . . 本文を読む
日本国土と神仏は一体ということは当然です
・栂尾論文の続です
「・・・生命体としての全一の根本佛とそれによりて生かされておる各々個々のものとの交渉関連のうちに、組織し、形成されたものが現実の国土である。従ってそれは本来内外一体のものであり、物心一如のものである。」
・安岡正篤も「大八州と天照大神とは御兄弟である」と書いています。 . . . 本文を読む
神道大意、吉田兼倶・・6
忌の字は己の心と作れり。これをもって知るべし。しかもこのごとくなりといえども、肉身を受ける者は喜ばざればあるべからず。怒らざればあるべからず。哀れまざればあるべからず。楽しまざればあるべからず。欲あらざればあるべからず。畢竟過不及が則ち災難となり、過不及が則ち諸病となる。是を去る者は中なり。中とは神なり。神を知るを悟るといふ。神を知らざるを迷いといふ。(中道を悟りとする . . . 本文を読む
神仏霊場会のホームページで、
「神仏合同国家安泰世界平和祈願祭」が、平成26年6月27日(金) 午前10時30分、大阪天満宮 御本殿 (大阪府大阪市北区天神橋2丁目1番8号)において、斎主・寺井種伯(大阪天満宮宮司)、導師・北河原公敬(東大寺長老)の下、霊場会加盟社寺の神職・僧侶の参列のもと行われるとの記事がありました。こちらにあります。
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