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ドヴォルジャークの交響曲第2番について-その1

2020-12-16 18:54:12 | 他の音楽
前回は、ドヴォルジャークの交響曲第1番について紹介しましたが、今回は交響曲第2番を紹介します。この第2番も大好きな曲です。

ドヴォルジャークの交響曲第2番変ロ長調作品4(B.12)は、1965年8月1日から10月9日にかけて作曲されました。
今回は、交響曲第2番の紹介に先立ち、交響曲第1番を作曲してから第2番を作曲するまでの間に作曲した曲を紹介します。

【交響曲第1番を完成してから】
ドヴォルジャークは、交響曲第1番を完成してから、この交響曲を作曲するまでの間に二つの曲を書きました。
★チェロ協奏曲 イ長調(B.10)
チェコ仮劇場のオーケストラでヴィオラ奏者を務めていたドヴォルジャークは、同僚のチェロ奏者、リュドヴィート・ピアのためにチェロ協奏曲を作曲しました。作曲したのは、チェロ独奏とピアノ伴奏のみで6月30日に完了しました。しかし、その後、楽譜は第1交響曲と同様、行方不明になりました。
その楽譜が発見されたのは、ドヴォルジャークの死後の1918年(1925年とする資料もあります。)です。それはドイツで発見されました。ピアは、1865年の夏にドイツに移住したのですが、どうやら楽譜も一緒に持っていったようで、そのピアの遺品から発見されたのです。
自筆譜は、その後1930年、大英博物館が買い取り、保存されています。
同様に行方不明だった第1交響曲は、後年、ドヴォルジャークが作成した作品リストに載せましたが、この曲は載せられていません。忘れ去っていたのか、それとも自身が失敗作と思っていた可能性もあるとのことです。

このチェロ協奏曲は、第1、第2交響曲と同様、長大な曲で演奏するのに55分程度かかります。
初演は、チェロ独奏を修正のうえ、1929年4月26日、プラハ市民会館においてフランティシェク・ベルカのチェロ、オスカル・ボンドロヴィックのピアノによって行われました。
この曲は、ピアノ伴奏の管弦楽化が試みられ、現在、二つの版が存在します。一つは、1920年代の終わりにドイツの作曲家、ギュンター・ラファエルが行った改訂版。もう一つは、1970年代、チェロ奏者のミロシュ・サードロと作曲家ヤルミル・ブルクハウザーによる改訂版があります。両社とも大幅なカットが行われており、元の曲の演奏時間が55分なのに対して35分程度に短縮されています。原版、二つの改訂版ともに録音が存在します。

★歌曲集「いとすぎ」(B.11)
続いて作曲された曲は、モラヴィアの詩人、グスタフ・プフレーゲル・モラフスキーの詩に曲を付けた歌曲集「いとすぎ」です。交響曲第1番のときにも触れましたが、1864年、ドヴォルジャークは、当時ピアノを教えていた金細工師チェルマークの次女のヨゼフィーナの魅力の虜になりました。彼女が女優としてチェコ仮劇場の舞台に立つようになってからは、足しげく劇場に通っていたのですが、1865年5月、カウニッツ伯爵が当時16歳だったヨゼフィーナに求婚し、彼女もそれを受けたという噂話を耳にして、淡い初恋は、あえなく消え去ったのです。
ドヴォルジャークは傷心の日々を送り、これを見かねた友人のカレル・ベンドルが、この詩集を渡したのです。
渡鏡子さんによれば「熱烈な思慕や疑いと苦悩に満ちたこの詩がいかに彼を強くとらえ、いかにはげしく彼の心が音楽へのはけ口をもとめていたかが想像される」(「スメタナ/ドヴォルジャーク」(音楽之友社1966年))のです。
その気持ちの強さは、作曲期間でも見てとれます。彼は、18曲からなるこの歌曲集を7月10日から27日の間に仕上げたのです。それも夜しか作曲できる時間をとれない状況においてです。一晩に一曲を仕上げるペースです。(渡さんは17日間と書いていますが、18日間の誤りか?)
ドヴォルジャークは、この曲を、感謝をこめてベンドルに献呈しました。

「いとすぎ」は、生前に出版されることはありませんでしたが、ドヴォルジャークはとても愛着を持っていて、1882年に、このうちの第1、5、11、13曲を改訂して「4つの歌」として出版しました。(同じ時期、別に第1、5、8、9、11、13曲の改訂も行いましたが、こちらは出版されませんでした。第1、5、11、13曲は2回改訂したことになります。)1888年には、第8、3、9、6、17、14、2、4曲を改訂して「愛の歌」として出版しました。また、1887年は、第2、3、4、5、7、8、9、12、14、16、17、18曲を弦楽四重奏用に編曲しています。こちらは、多くの録音が存在します。
さらには、1879年作曲のピアノ曲集「影絵」にも、いとすぎの第14曲の主題が第1、5曲に用いられています。

いとすぎを書き上げて6日後、8月1日からは第2交響曲の作曲に取りかかったのです。
(ウィキペディアによれば、いとすぎの花言葉は「死・哀悼・絶望」、ギリシャ神話では「美少年キュパリッソスが姿を変えられたのがイトスギ」だとされているそうです。)
(続く)
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