夏はなぜ怪談話(かいだんばなし)や幽霊(ゆうれい)の話をするのでしょう。
お盆(ぼん)があったり、こわい話ですずしくなるからとか。
私は昔から幽霊の話が大嫌いでした。
心霊写真(しんれいしゃしん)のテレビ番組とか冗談(じょうだん)じゃありません。
いやがる子供におもしろがって怪談を聞かせる大人なんて大きらい。
そういう大人にはなるまいと思ったものです。
学校に幽霊や妖怪(ようかい)の本を持ってくるやつ、あれも嫌でした。
日本妖怪図鑑(にほんようかいずかん)というやつです。
「天井下がり(てんじょうさがり)」とか「あかなめ」とか開いてみせるやつ
バカじゃないか!と思いました。よなかに起きてしまったらさいご。
トイレに行けないどころか、もう朝までねむれません。
その妖怪自体は悪いものではないのに、その絵がこわかったのが
座敷(ざしき)わらしです。
座敷わらしのいる家は災難(さいなん)から守られるといいます。
田舎(いなか)の大きな家で火事がありましたが
その家には座敷わらしが住み着いていました。
火事が起きる晩(ばん)に子供たちは
ふすまのすき間から伸びる白くて細い手に手まねきされ
何だろうと思いながらついていき、家の外に出て遊んでいたので
火事から のがれたといいます。
また、家の人が家財道具(かざいどうぐ)を大八車(リヤカー)につんで
はこび出すのをひっぱって手助け(てだすけ)するそうです。
座敷わらしは子供に見えて大人には見えない。
子供たちも知らない子がいるというふうでもなく
いつもいる子で遊んでるかんじらしい。
大人が来て
「よしよし、みんないい子に遊んでいるな。どれどれ
おやつをあげよう。おまんじゅうだよ、手をお出し。」
子供たちの手のひらにおまんじゅうを一つずつのせて行くのだけれど
子供の数だけおまんじゅうはあるのに手のひらが一つ多い。
なんども顔を見て、手におまんじゅうをのせていっても
おまんじゅうが一つ足りない。
子供にまざって一緒に遊んでいる座敷わらしが手を出してるからで
その時に大人は
「ははぁ、座敷わらしがまざっているな。もう一つ持って来てやろう」
と思えば良いのであって
いじわるをして
「手が一人ぶん多い。座敷わらし、いるならでていけ!」
なんて言ってしまうと座敷わらしはその家からいなくなり
その家は不幸(ふこう)がおとずれて、
たすけてくれるものもいなくなるそうです。
よなかに一人で楽しそうに笑いながらあそびはじめる声がする。
だれも食べていないのにおやつがなくなる。
4人家族なのにトイレットペーパーのへりが早い。
学校から帰って、家に入ったとたん、ランドセルがかるくなる!
それは君の家に座敷わらしがいるからかもしれない!!!
名著「日本妖怪図鑑」を語るブログなどから
写真を借用しました。昨年?復刻版が出たようです。
わかる気がします。しかも結構なお値段(笑)。
もはや芸術品扱いなのでしょう。
私たち昭和40年代後半に小学時代を過ごしたものには
たまらなく懐かしく、日本にあまたいる妖怪のそれぞれの姿は
まさにこの図鑑によってイメージ付けられています。