-写真の部屋-

奥野和彦

シゴト、シゴト

2013-08-27 21:19:38 | 写真
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このブログではよく出て来る
成田への道中。 
最初に書いた頃と大分町並みが変わった。
好みだった街道筋の商店は、シャッターを下ろしたり
更地になったり、我孫子から出る成田線は
古い駅舎だったものが皆お揃いの同じようなカタチの
駅舎になった。 中でも木下駅界隈は必ず車を停めて
少し歩き、ついでに駅舎の外にあるトイレを借りるのが
習慣であったが、今日は国道から駅舎がその新しい建物に
なったのを確認してトイレもなくなったろうと
素通りした。
JRがお金をかけて駅舎がきれいに立派になって
駅前はシャッターをおろした店と更地ばかり、人気も無い
これはどういう風景か。 世代交代がなされて
また商業が行われればいいけれど、
そうなるようには見えない。
壊された、ボットン便所の駅舎たちが戦後の建物だったと
するならばそれから概ね70年が経って
あのようなボロになっている。 70年後、
今出来ている新しい駅舎もさぞやボロに見える事だろう。
有名な変わった作りの古い建物だとチヤホヤされるが
ごく普通のなんの変哲も無いボロの駅は何とも思われない。
トイレが改札外だとか、水洗であるとか気にするが
汚いもの、臭いものにとかく蓋をしたがる人類の事だから
その頃、ヒトはシッコもウンコもしなくなってるかもしれない。
駅にはトイレがない。 冗談で言ってはいるが
たった70年前まで、世界中で人殺しをしていた人類なのである。
仮にその新しい駅の中にぽつんと立ってみたら
そこにある一番古い物は私という肉体である。
新しい駅舎は思うだろう。
「また古いもの好きな古いタイプの人間が紛れ込んで来た。」

今、気になっているのは
このように昭和の姿が移り変わろうとしている所。
移り変わろうとしている古い物を惜しんで集めるのでは
なくて、ちょうど蝉の幼虫が羽化をして抜け殻の上に
白い姿でしがみついてる、そんな感じ?
うまく言えないけど。
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駅の向こう側の遮断機のある踏切を渡るとき
ふと見たカーブしながらあっちに延びていく単線の両側に
伸びて頭をたれる夏草の風景だけ、昔と変わらないのだろう。