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+ 国亡びて蛍川・・・ 社会主義本質論 ①

2010年06月13日 22時34分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

    蛍川  光の筋も  せせらぎぬ  


   梅士 Baishi

 

 

 

 日本という歴史ある国が今、マスコミ、国民多数の希

望として中国に身売りしようとしている。

 日本人がいなくなっても、蛍川には、かつての日本人

の魂のように儚い蛍の光が浮遊しているのであろう。

 

 戦後、日本民族は滅亡したというべきなのではないか。

 民族とは遺伝子だけのことではない。

 文化文明としての民族である。

 

 

 

 

 

日本滅亡論 

 実際、かつての日本人とのアイデンティティーがない。

 武士道精神もなく、愛国心にいたってはさらさらない。

 その国際人感覚は、めでたくも、チャイナと同化でき

ると妄想する始末である。

 その妄想を公約とした民主党政権が国民によって選出

された。

 そうした売国奴政権を、正統政権と認めてよいのか、

民主主義といってよいのかは問題であろう。

 

 NHKを無血開城できるか、それが、大政奉還をめざす

革命の一歩となるであろう。 

 NHKが誘導した偽装民主主義は、国を売って持参金代

わりにしようという輩の政権を誕生させた。

 自滅政権である。

 

 マスコミに誘導される国民大衆のみならず、企業でさ

えも国を憂える所がない。

 それが、「民意」なのであろう。

 しかし、その民とは売国奴のことであり、国家に責任

を持つものでない以上、市民とはいえない。

 偽装国民である。

 

 それにしても、なぜ、売国という民意が多数を占める

のか。

 なぜ、社会主義国家をめざし、さらには、中国への編

入を画策するのか。

 

 

 

 

 

なぜ、社会主義を望むのか~社会主義本質論


 社会主義の本意は、失業の不安や、離婚による生活不

安、さらには老後の不安を国家の生活保障制度によって

解消したいということにあるのではないか。

 働けなくても、制度的権利として、国家に保護される

安心がほしということだろう。

 それが、すなわち、全体主義・社会主義幻想である。

 その結果、中国が理想の国に見えるらしいのである。

 

 邪教のように、楽をして幸福や安心を手に入るという

ものが人気なのである。

 ところが、幸福の科学は、自助努力し、他人のために

生きる責任がある、それが、人生修行であり、信仰であ

るという。

 霊的な人生観とは、修行の人生観である。

 こうした、自助努力の宗教を邪教扱いするばか者が多

い。

 世のため人のため、心を正して努力せよという宗教の

どこに邪さがあるというのか。

 

 邪(ヨコシマ)とは私利私欲のために画策することを

言うのである。

 不信仰なる者こそは、私利私欲を優先する自分至上主

義者というべきではないのか。

 

 働かない人からは税金はとりませんよ、働かなくても、

いろんな手てを支給しますよ、という民主党政権こそ

はは邪教のようであり、邪党というべきであろう。

 いわば、ご利益政党である。

 

 35兆円の税収に対して、90兆円のばら撒き予算を

組んで、いつまでばら撒けるというのか。

 だから、増税だといっているが、今の倍以上の増税し

なければつじつまが合わない。

 

 結局は、国家財政は破綻するのであり、詰め腹を切ら

されるのは国民ですよと警告してやっているのである。

 増税がいかにも回避できない正論であるかのように言

っているが、これが、自由を殺す社会主義の始まりです

よとも警告している。

 

 社会主義がいかにも正しいことのように誤解される理

由は、国が民の生活を保障しますよといううたい文句

にある。

 働かなくても生活できるという幻想を、国家事業とい

うどんぶり勘でごまかしているのが国家社会主義の実

態というべきであろう。

 

 収入以上の支出をしたら、財政が破綻することは、社

会主義国家も資本主義国家でも避けられない因果応報

である。

 だから、そんな計算の合わない幻想にだまされて増税

を許し、自制限を仕方のないことだと許してはならな

いのである。

 

 確かに、年々肥大化する六法は、国家社会主義の自由

規制の表れであろう。

 飛びぬけて成功してはいけない、弱者に遠慮しながら、

平均的に利益が配分されなければならないという、社会

主義の発想である。

 まさに、自由規制のメタボで動きが悪くなり、血液循

環が悪くなっ早死にするのである。

 

 弱者保護、働かなくても食える、というのは安心と思

うのだろうが、そんな手品のようなことがどうしてでき

るというのか。

 まさに政治的トリックにほかならない。

 何一つとして安心ならない偽装であり、人だましで

ある。

・・・・・ つづく  

 

 

 

 

 

 

 

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+ 蛍川・・・ 社会主義本質論②  福祉は自由に委ねてこそ愛となり、徳となる。 

2010年06月13日 22時34分00秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 社会主義とは、それが善意であれ悪意であれ、人だま

しの政治でり、いわば、よくあるねずみ講的連鎖販売

の勧誘に似ている。

 貧乏人が狙われ、夢物語にだまされるのである。

 それが社会主義である。

 

 思いやりはいいし、弱者救済も大事だが、それが、義

務になり、救済されることが権利になるとき、それが社

会主義となって自由を奪全体主義の強権政治となるの

である。

 増税であり、重税が積み上がり、さまざまな許認可行

政で自由が縛られる。

 

 

 

 

真正・福祉国家の理念 

 慈悲とは、それが制度化され、権利義務化するとき、

慈悲ではなくり、貧乏の平等へと、自由を剥奪されて

ゆくことになる。

 慈悲とはあくまでも、自由主義にゆだねられるべきこ

とである。

 自由であるにもかかわらず慈悲を与えるところに愛の

本質がある。

 

 国家が福祉国家としての理念を掲げ、弱者救済を国家

理念とするというならば、国民の慈悲を奨励し、国家と

しても自ら収入を得て弱者救済の資金とするのでなけれ

ばならない。

 福祉国家とは、社会主義であってはならない。

 

 福祉国家とは、国もまた、与える愛として企業活動を

するべきことを意味しなければならない。

 「日本国憲法」は、邪教的社会主義憲法にほかならな

い。

 

 自由としての慈悲、与える愛こそは、最高の宇宙文明

だと言われているのである。

 愛の星地球であるならば、レプタリアンといえども恐

れ入るほかはないのである。

 社会主義の幻想にだまされてはならない。

 うまい話には裏があり、自滅への道となるであろうと

いう警告を真摯に受け止めなければならない。   

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

  

 


 

 

 

 

 

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