魂も 光るものぞな 蛍道
梅士 Baishi
今朝の気温は22.5℃。
今日から入梅。
そろそろ、蛍が見える頃である。
福岡、長崎で見た蛍はヒメホタルだが、でっかいホタルもいるのかも
しれない。
さて、人間の正体もまた、巨大なエネルギー体なのだという。
魂のことである。
肉体から抜け出した魂は火の玉に見えるらしい。
つまりは、人間の魂は輝きだす光の玉だということである。
であるならば、やはり、光のように明るく生きなければ自己矛盾とい
うものである。
小さな太陽のように、周りを明るく照らし出したいものである。
光の前には闇は消えるほか無いのである。
その太陽を、自分の小さな自己保身の殻に閉じ込めてなるものか。
心のガスを吹き払え。
心にかかったガスを雲散霧消せよ。
心にかかっているその雲は、自己保身の不安、疑心暗鬼の心、無
気力失望、恨み、嫉妬、自己嫌悪、人間不信・・・。
みんなちまちまとした欲望であろう。
自己中心、自己保身のちいさな欲望、ちっぽけなプライドを捨て去ろ
うではないか。
心の太陽はちっぽけではないのだから。
魂という心の太陽を輝きだそうではないか。
季節は入梅だが、心はいつもからりと晴れていたいものである。
【老後の心得】
大川隆法著 幸福の科学出版刊『富国創造論』は、二宮尊徳、渋沢
栄一、上杉鷹山の三人の霊言が語られている。
二宮尊徳は「積小為大」の精神で小藩の財政を立て直した財政再建
の神というべき方である。
そこでは、資本主義の精神が厳しく語られている。
資本主義の精神とは独立不羈、自己統治、自由と自己責任の精神
である。
自由とは努力のし甲斐であり、チャレンジ精神であろう。
すなわち、ミッションをもって生きる喜びであり、死に甲斐である。
反面、老後の自立に不安を覚える人も多い。
自由を謳歌するのは使命感であり、自由を不安にするのは自己保身
である。
生きる目的は、自己保身に長く生きることではあるまい。
答えは書いてあるではないか。
人生は是修行。
最後まであきらめないで最善を尽くして生きるほかはあるまい。
老後への最善の備えとは、心を豊かにして、世のため人の為に働き
続けることである。
この世で働けなくなったら、あの世の仕事がまっている。
人の役にも立たないで生きていることは申し訳がないことである。
現在の年金制度が異常なのである。
長生きしたければ、健康に働く工夫をすればよいだけのことである。
どうしたら、老後も人の役に立つ働きができるか、備えておけばよい。
働きもせずに連綿と生きようなどと考えるから不安なのだ。
仏とても、そんな人を助けたいとは思うまい。
自己保身に生きることこそはみっともないことである。
「老後の不安」を定型句としてはならない。
老後は早く死ぬか、遅く死ぬかというだけのことである。
死ぬのが怖くては生きてゆけない。
人は全員死ぬ運命である。
心が天国ならば、早く天国に行ける。
キリギリスでもよいではないか。
キリギリスは遊んでいたのではない。
秋という文化を豊かに奏でていたのである。
そのキリギリスに、なぜ、アリさんは感謝をしないのか。
秋に音楽を奏でる虫もなければ文化の切なさも豊かさもないではな
いか。
老後に惨めさなどはない。
必死、決死に生きられるのが老後である。
隠居もよいが、天晴れに生きられるのも老後である。
要は、覚悟の問題である。
覚悟こそは、自由主義の生きがいというべきである。
自由の為に殉じるのだ。
素晴らしい人生ではないか。
【老後ベンチャーのすすめ】
高齢コールセンターガール・・・婆になってもできるコールガール。
高齢者をつなげるインターネットテレビ。
安心葬式協同組合。
死出の旅トレーニング院・・・地獄に堕ちないために。
インターネット納骨堂・・・全世界アクセス自由、特別慰霊祭サービス。
高齢者マーケティングカンパニー・・・高齢者のことは高齢者に。
決死高齢者アドベンチャー番組制作・・・あわよくば死ねるかも。
爺婆リサイクル通販㈱・・・ 物は一杯ためこんどりますけんね。
まだ、一杯ありますばい。
なんしろ、年寄り人口が増えるげなけん、マーケットは年寄りのもん
たい。
少子化とは、老いてなお、繁栄するほかはないということである。
覚悟が決まったら、老後ベンチャー相談所にいつでもきんしゃい。
死ぬときはきっちり見取ってやりますばい。
果敢に「老後」の人生を生きようではないか!
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi