娘らの 祝いめでたき 節句かな
馬糞 Bafun
今日は、月暦の雛節句である。
カレンダーをみて、ああ、そうかと気がついた。
かくも忙しきものかという勢いで、三月が過ぎようとしている。
今年はまだ、桃の花を見ていない。
かくなる上は、桃の木を植えようか。
そうしたら、花のころ、桃の節句を思い出すであろう。
雛人形の代わりに、毎年出す歌は、やはり、家持の歌である。
春の苑sono 紅kurenai にほふ 桃の花
下照る道に 出で立つをとめ
旧暦の桃の節句を最後に、雛人形は箱にしまわれるのであろう。
女性の幸福こそは男の安心であり、子供の幸福である。
だから、女性は、不幸感覚ではなく、幸福感を磨かなければなら
ない。
女性は本来、気高く美しい魂である。
子の魂を受け入れる神聖を与えられている。
その女性の神聖を汚してはなるまい。
女性自らが、その神聖を汚してはならない。
そこに、女性の人生修行がある。
【民主主義とは、政権交代ではなく、官僚社会主義との戦いである】
大戦が始まろうとしている。
その流れは、止まらない。
社会主義体制の下では、不況という停滞は終わらないし、シロアリ
のような公務員による国家蚕食は止まらないからである。
公費に安住し、革新せず、価値を生み出さず、さまざまな形式や
規制によって国体に巣食っているのが、公務員だからである。
所得税や相続税を撤廃すれば、税務署もいらず、税務職員も要ら
ない。
何ゆえに複雑な公務を作るのか。
それが、公務員の巣になっているのだ。
租税制度は単純かつ明快でなければならない。
キャッシュレスを徹底すれば、送金への課金システムによって、1%
程度でも税収ポイントを課すだけで、国家予算を賄えるのではないか。
公平の観点からは、GDPの10%を国家予算として紙幣を印刷供給
すればよいのではないか。
60兆円くらいで、十分に運営できるはずである。
農林水産省関連もいらない。
教育公務員制度もいらない。
公務員汚職の温床となった厚生労働省もいらない。
市役所や県庁の大半の職員がいらない。
そのような、公務員社会主義からの革命ビジョンを明らかにして、
大義を世に示してほしいものである。
その試算は、公務員ではなく、民間の経済研究団体に委託するこ
とだ。
民主党は、小沢党首の政治資金不正までも弾圧だとして正当化し、
民主党への政権交代こそが民主主義の大義であると言うが、ずい
ぶんとおかしなことを言うものだ。
政権は安定したほうがよいのだ。
政権交代が民主主義のあるべき姿なのではない。
社会主義的な民主党への政権交代ではなく、公務員社会主義と戦
うべきが、民主主義の革新である。
官僚規制経済ではなく、自由市場主義経済を本則としなければなる
まい。
資本主義が行き詰まったのではない。
官僚社会主義が破綻しているのである。
アメリカのモラルなき金融支配経済が破綻したのである。
経済を生み出すのは、価値を創出する労働である。
投資には、投資責任があり、融資には融資責任がある。
そこに求められているのは、リスクとコンサルティングという教育
指導ではないのか。
それでこそ、価値創出といえるであろうから。
梅士 Baishi