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+ 初鶯・・・ 独立の気概  独立国家日本の使命 

2009年03月21日 08時29分26秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 

  わが宿の 鶯鳴きぬ 風の先  


     馬糞 Bafun

 

 

 

 

 

 春分の前の朝、鶯が鳴いた。

 びっくりである。

 わが宿の目と鼻の先で、メジロの後から柿や蜂蜜を食べに来たあの

鶯に違いなかった。

 

 朝の音楽を消して、しばし、奥山の秘蔵の歌を聴いた。

 わが宿を旅立つ歌であったかもしれない。

 いよいよ、本当の春になった。

 

 

 

 

 

 

独立の気概
 

 桜が咲き始め、鶯が鳴き始めた。

 さあ、この一年も戦うぞ、と思う。

 戦いとは、創造的挑戦のことである。

 

 人生は修行である。

 試練は粘土である。

 その粘土に試行錯誤して、新しい形を創造する。

 試行錯誤とは、創意工夫であり、失敗を重ねながら学ぶことである。

 失敗を恐れることはない。

 失望をこそ恐れるべきである。

 

 独立の気概なくしては戦いはない。

 それを平和とは言わない。

 

 独立の気概なくしては、修行もまたない。

 依存するものに、試練に立ち向かおうとする勇気も責任もない。

 

 独立とは、他の支配を許さない武の正義である。

 しかし、神からの独立ではなく、神への決意である。

 

 独立とは、経済自立の責任であり、与える側に立つ志である。

 独立とは、神の目から見て、けなげでいじらしい生き様である。

 与えられる権利を主張する者たちには、感謝をする謙虚さも、独立

者の栄光もなく、見苦しい。

 

 わが愛するメジロも、鶯も、ヒヨドリも、強く、美しく、けなげである。

 彼らは、そのような伝統に生きている。

 人もまた、独立の伝統に生きるべきである。

 

 そして、仏神の心を体現する者として、新時代の創造に自助努力す

るべき責任がある。

 果たして、日本国に、そのような気概があるのか。

 ないならば、中国の属国として日本は滅亡し、亡国の歴史が刻まれ

ることになるであろう。

 

 

 

 

 

 

 

独立国家日本の使命


 第一に、日本は、自ら独立国家とならなければならない。

 独立国家としての気概と力を示すべきである。

 侵略国家の不正を許さない、毅然とした武力を持って、周辺国家の

独立を安堵すべき役割がある。

 しかし、核兵器は保有すべきではない。

 兵力のロボット化、核兵器無力化技術、宇宙軍事基地の開拓に展

開すべきである。

 

 国家がないことが平和なのではない。

 武力を持たないことが平和でもない。

 それなくしては、民族の独立も、個人の良心の独立も保たれないで

あろう。

 

 現代は、それぞれの隔絶された地域で育ってきた民族文化が、やっ

と、国際社会を意識し、独立に目覚めたばかりの時代である。

 民族が、その伝統と文化を、独立国家として集大成し、国家

として自立するべき課題に取り組んでいる段階である。

 

 現代国家とは、そうした揺籃期を過ぎて、国際社会を形作る青年期

の姿ともいえる。

 この段階で、国家を融合する社会主義思想は、侵略国家の思想に

ほかならない。

 この危険思想をもった侵略国家が、隣国に支配力を強めている。 

 だからこそ、独立国家としての、武の正義が必要であるのだ。

 

 アメリカは、独立に対する侵略を取り締まる国際警察の正義を国家

の大義としたナンバーワンの国家であった。

 これからは、このアジア太平洋にあって、日本がその役割の一部を

果たすべきである。

 

 

 

 

 

 

 第二のビジョンは、教育的影響力をもって、周辺諸国家の教師となる

べき使命である。

 多くの国が、与えられた経済で豊かになるが、貪りの無教養が自立

を妨げている。

 品格がないのである。

 宗教的教えがあるのに、実際の経済生活には反映していない。

 何よりも、品格の教育が必要である。

 その上で技術教育が定着する。

 ああ、しかし、日本の教育事情でもあるかのようではないか! 

 

 宗教的教育の核心は、「敬天愛人」「自助努力」という言葉に集約さ

れている。

 

 人を愛するということは、人の心に明るさと安らぎを与え、人を生かし、

大きな信頼を与えて見守るという「与える愛」に他ならない。

 それは、敬天の心による、仏神の愛の反映である。

 仏神を敬い習うことを、信仰というのである。

 それこそは、私利私欲からの革新であり、教育の本質である。

 

 やはり、教育の革新がなければ、国家は育たない。

 その役割を、日本が担わなければならない。

 それなくしては、本当の経済繁栄はないからである。

 

 

 

日本よ、理想国家の範となれ 】 


 

 日本は、理想国家としての模範とならなければならない。

 武門の美意識と、宗教的美意識を伝統に持つ、唯一の文明国家で

あるのだから。

 何ゆえに神々は、日本文明を育て守ってきたのかを考えなければな

らないのではないか。

 

 そうしたことを、教育家や政治家たる者は、熱く語る使命と責任があ

ることを自覚するべきである。


                                 梅士 Baishi   

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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