残り梅 数える花の 花咲きぬ
馬糞 Bafun
暑さ寒さも彼岸までというが、春の彼岸に入った。
再び箒のようになった梅の枝に、点々と残った花に安堵していたが、
ついに桜が咲いた。
博多で一番早く咲く禅寺、乳峰寺の桜を見上げると、なんと、花が開
いているではないか。
さくら咲く!
もはや、一斉に桜の花が咲き始めた。
いよいよ、人も、仕事も、2009年という年も、本格的に動きはじめる。
【社会主義的雇用対策への疑問】
「ワーキングプア」「格差社会」「派遣切り」・・・。
どれも、「百年に一度の大不況」というNHK型キャッチコピーで宣伝さ
れている、『社会主義の復権』キャンペーンである。
マスコミの宣伝に乗るかのように、国民へのばら撒き政策が繰り出さ
れている。
マスコミに、CM料が支払われているのではないだろうかと疑う。
だから、「視聴者の受信料で賄われています」という放送局を認める
べきではないのだ。
これを『電子政府』というのではないのか。
同じように、自立できない子供のなんと多いことか。
「子供がやりたいように・・・」と言いながら、アルバイト人生や引きこも
り人生と同居して、だらだらと許して続ける。
しかし、社会主義とは、貧乏共倒れ主義である。
国民を自立させない、子供を自立させないのは、政府や親の支配な
いし存在理由にするためであろう。
それで、幸福になったためしがない。
人が求め続けたのは自由ではなかったのか。
憲法は自由人権の宣言ではなかったのか。
自由とは、自助努力である。
自由とは自己責任である。
人生とは、修行だからである。
【政府が果たすべきべき経済政策】
福祉の考え方を、社会主義から転換しなければならない。
政府や官僚は、かしこぶって景気対策、雇用対策などと考えないほ
うがよい。
考えるべきは、国民の活動しやすい環境を整備し、いざというときの
ために資金をためるという、社会資本整備に徹することだ。
そのためにやるべきことは多い。
交通革命である。
エネルギー革命である。
さまざまな研究開発投資である。
さまざまな教育投資である。
スポーツ環境整備である。
基本は、公設民営化だ。
資本主義の失敗なのではない。
国民にモラルが欠けたからであり、政策に社会主義が忍び込んでい
るからに他ならない。
今こそ、試練の自由責任主義、修行の自助努力主義を経済の基本
にすえるべきときなのではないか。
梅士 Baishi