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+ 新暦の七夕・・・ 大衆の欲望の息こそが環境破壊のガスである 

2008年07月08日 22時22分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 七夕に 笹を願いて 叶えられ


   馬糞 
Bafun
   

 

 

 

 

 

 今日は七夕であった。

 昔は、大きな竹を切ってきて、背丈以上の竹いっぱいに短冊やさ

まざまな七夕飾りを結びつけたものだった。

 

 しかし、博多に竹はない。

 売っているのだろうか?

 

 商業とは、市民の願いを察して笹を提供してくれるものである。

 生け花のような笹だったが、子供たちがいっぱい短冊を結びつけて

いた。

 すでに、願いは叶ったのである。

 

 

 新暦の7月7日が正しい七夕の日なのかどうかは分からない。

 しかし、七の日を祝うという意味では、それなりの風情が生まれる

ものだろう。

 

 かつて、埼玉の蕨市に住んでいたころ、密集した商店街の一角で

季節外れとしか思えなかった盆踊りと七夕祭りを一緒にやっていた。

 雨の日だった。

 浴衣姿の娘たちが寒そうだった。

 かつては繊維の町だったらしい。

 織姫たちの、ささやかな楽しみだったのかもしれない。

 

 会えそうで会えない天の川。

 

 新暦の七夕は、悲しい恋心を感じさせる。

 川止めの銀河の岸で、「次は旧暦の七夕に」、と手を振り合うので

ある。

 

 今はもう、日本に女工哀史はないが、さて、チャイナの女工たちは、

七夕祭りを知っているだろうか。

  晴れてはいても、銀河の空はスモッグにかすんで、星の物語は届

かないかもしれない。

 

 

 

 

 しかし、一年一度の逢瀬が実現したのが、洞爺湖サミットである。

 七夕の笹は飾られていただろうか。

 

 自然に恵まれた洞爺湖の風景の中で、環境問題が実感を失わな

ければよいがと危惧しないでもない。

 歓迎の雹でも降れば効果的であろうが。

 

 竜神よ!

 神国日本の権威を見せてやれ!

 

 政治家よ、

 サルコジのごとく、なるな。

 神の使いとなれ。

 

 政とは、天意を受けて行う神事である。

 民主主義の政とは、国民が神官のごとく自らを清めて天意を解さ

なければならない。

 

 しかし、環境問題は、かつてのノアの箱舟のごとく、天罰を受ける

ことになるのではないか。

 

 もっとも多くの温暖化ガスを排出しているのは、大衆の汚濁した欲

望に他ならない。

 

 

                                 梅士 Baishi 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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