坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

親子でも同朋

2009年08月12日 | 坊主の家計簿
 見舞い&娘に会いに行くと今夜のママの晩ご飯は「フランス料理のフルコース」らしく、食事時間に1時間45分もかけやがった。
 面会早々部屋を追い出されたパパは近くの定食屋で400円の定食を食べる。ベーコンエッグとチキンカツ2&海老フライ2の400円定食を食べて腹一杯になったパパはママのベッドで不貞腐れて寝る。腹がパンパンの時は病室のベッドはエエ感じやのぉ。。。ほら、上半身の角度とか変えれるのがありますやん。胃袋ラクチン。
 寝てたらママ、娘を連れて部屋に戻って来る。「フランス料理のフルコースなんぞ食べやがって、俺なんか400円の定食やぞ」と悪態を垂れても気が済まなかったので帰りに900円の『ほろ酔いセット』(中華2品&付出しプラス生中)を食べたら、これまた腹パンパンになる。あっこの店の『ほろ酔いセット』はボリューム満点過ぎるねん。まあ、それがエエねんけど。
 しっかし、「近所で通いやすいから」という大義名分があるにしろ、プラス「昼からバイトしながら産婦人科に通ってたから」という大義名分があるにしろ、あっこの病院高そうやのぉ。。。なんで個室やねん。大部屋でエエやんけ。大部屋で大量の喚き散らす赤ちゃんと一緒に居ったらエエねん。ご褒美かなんか知らんけど『フランス料理のフルコース』って何やねん。戦中戦後の母親なんぞ重湯で乳出しててんぞ。っちゅうか、今現在でも30億人ぐらいの人たちからテロされる対象ちゃうんけ。

 そんな事が『当たり前』なんぞと特権意識を持ったカスにだけは絶対に育てたくない。
 「こういう風に育って貰いたい」何ぞは親の欲望でしかないが、如来の子である。

 
 以下、個人勉強。
【(徳王品)また言わく、善男子、第一真実の善知識は、いわゆる菩薩、諸仏なり。世尊、何をもってのゆえに。
常に三種の善調御をもってのゆえなり。何等をか三とする。一つには畢竟軟語、二つには畢竟呵責、三つには軟語呵責なり。この義をもってのゆえに、菩薩・諸仏はすなわちこれ真実の善知識なり。また次に善男子、仏および菩薩を大医とするがゆえに、「善知識」と名づく。何をもってのゆえに。病を知りて薬を知る、病に応じて薬を授くるがゆえに。たとえば良医の善き八種の術のごとし。まず病相を観ず。相に三種あり。何等をか三とする。いわく風・熱・水なり。風病の人にはこれに蘇油を授く。熱病の人にはこれに石蜜を授く。水病の人にはこれに薑湯を授く。病根を知るをもって、薬を授くるに差ゆることを得、かるがゆえに「良医」と名づく。仏および菩薩またかくのごとし。もろもろの凡夫の病を知るに三種あり。一つには貪欲、二つには瞋恚、三つには愚痴なり。貪欲の病には教えて骨相を観ぜしむ。瞋恚の病には慈悲相を観ぜしむ。愚痴の病には十二縁相を観ぜしむ。この義をもってのゆえに、諸仏・菩薩を「善知識」と名づく。善男子、たとえば船師の善く人を度すがゆえに「大船師」と名づくるがごとし。諸仏・菩薩もまたかくのごとし。もろもろの衆生をして生死の大海を度す。この義をもってのゆえに「善知識」と名づく、と。抄出
 『華厳経』(唐訳・入法界品)に言わく、汝、善知識を念ずるに、我を生める、父母のごとし。我を養う、乳母のごとし。菩提分を増長す、衆疾を医療するがごとし。天の、甘露を灑ぐがごとし。日の、正道を示すがごとし。月の、浄輪を転ずるがごとし。
 また言わく、如来大慈悲、世間に出現して、普くもろもろの衆生のために、無上法輪を転じたまう。如来、無数劫に勤苦せしことは衆生のためなり。いかんぞもろもろの世間、よく大師の恩を報ぜん、と。已上】(真宗聖典353~354より)

 如来の子。

営業熱心

2009年08月11日 | 坊主の家計簿
 昨日は開いてなかった眼が今日はおメメぱっちりの我が娘。かわゆいのぉ~。昨日に比べて泣き声も暴れ方も元気元気。
 等と安心している場合ではなく父ちゃんは仕事をせんとアカンわけだし、仕事を作らんとアカンわけなんだが、その前に「退院したらベビーカーって居るねんなぁ。。。」と慌てふためく。ベビーベッド等の算段はついているのだが、マルチ機能のベビーカーを「そのうち買わんとアカンのぉ。。。」と言ってる間に、予定日より遅れるはずが予定日より9日早く産まれたので慌てる。んが、まあ、近所のジャスコに狙ってるのが売ってたので今日買いに行くと「この商品は取り寄せになってまして2週間程かかります」との事。
 とりあえずネット検索して(今までヨメはんに任せてたので)「なんとかなるかなぁ~」みたいな感じなんだが、え~と、産婦人科に出入りの業者は居ないのか?

 ふと、葬儀社を思い出す。病院で人が亡くなったら葬儀社がやってくる。知ってる寺が無ければ葬儀社が紹介してくれるだろうし、仏壇やら墓石なんぞも頼めば紹介してくれるのであろう。仕事やし。
 産婦人科に営業に行ってるベビー用品の店ってあるんかぁ~。助産婦さんに「すいません、予定日よりも早く産まれたので用意が出来てないんですよ~。夫は仕事で忙しいし、出来れば病室にカタログ持って来て頂いて退院までに一式揃えたいんですが、そういうのってないですかね~」と言ったら、助産婦さんが「そしたら私が知ってる人に頼みましょか?」とかでんなぁ~。
 私が狙っているベビーカーはジャスコでは定価販売。ネットで検索してもほぼ定価販売。タマに安い所があるぐらいなもん。よって定価で不服はない。何ら文句はない。

 故に、営業熱心なベビー用品店が産婦人科病院に営業に行って、病室で選べたらムッチャ便利やねんけどなぁ。。。

 ちなみに『仏事屋』を目指している私なんだが、出産も仏事やな。出産間もなくベテラン助産婦(この人はホンマ凄かった)が、一応分娩室に居た私に「ほら、女の子です。手足もちゃんとありますし、指も5本あります」と云ってはった。まあ、『当然』っちゅうたら当然の話なんだろうが、障害者作業所に居た私にはやっぱし違和感を感じた。「揃ってなかったらアカンのかい!」と。
 そういや、某有名コピーライター(名前ど忘れ)が、あ、糸井重里や。糸井重里が子どもが産まれる前に「こういう子どもだったらな」とか諸々考えてて、でも最後辺りには「せめて五体満足に産まれて来てくれ」?「とりあえず生きて産まれて来てくれ」に変化していった欲望の変化について語られていたが、私はそういう面では欲望が少なく、これは別に腹が据わっているとか念仏者だからとかの話でなく、ホンマに単純に『欲望』の問題であって、あ、欲望、っちゅうたらアカンな。生身の人間が持つ『愛情』の問題であって、生身の人間の愛情が深ければ深い程「こうあって欲しい」と願うのは当たり前の事であって、それが『煩悩具足の凡夫』っちゅうやつであって、私はそういう愛情の前に「生活していかんとアカン」とか、家庭内の事で頭がパンパン状態なので、そこまで感情が廻らなかっただけの話である。
 でも、やっぱし、産まれて来た赤ちゃんは、どんな赤ちゃんであっても私が『親』として関係性を持たなければアカンわけやし、『親』として手足が無かろうと、指が無かろうと、それでも『親』は『親』であり、『子』は『子』でしかない。対等な人間関係として

 1 「えらばず、きらわず、みすてず」の如来の本願に触れ、
 2 「はじめに尊敬あり」と生活を切り開き、
 3 困難にぶつかり、それをまっとうできない時の「だからこそ」といういのちのさけびを聞く。
 (狐野秀存『竹中智秀先生とは誰であったのか 生活をひらく三つの言葉』37ページより)

『女』の嘘

2009年08月09日 | 坊主の家計簿
 父ちゃんヘロヘロ。。。っちゅうか、母ちゃんはもっとヘロヘロやろうけど。。。

 昨夜寝ようとしたらヨメの調子が悪そう。まあ、妊婦なのでタマにある事やし、朝起きて「調子悪そうやったやんけ」と。
 私はお仕事。一件目の初盆先に行ったら「日程変更の電話をしましたけど。。。」との事。私、聞いてない。っちゅうか、予定表にそのまま書いてあるし。当然キレる。「誰や、情報を伝えへんかったやつわ」とブチ切れモードなんだが、妊婦、陣痛らしいのでブチ切れ終了。情報が私の所に集中しないのが根本原因なので寺の電話番号をしばらく私の携帯にする事に決定。まあ、もう一本電話回線を引くまでの暫定処置なんだが。『家の電話』と『寺の電話』は別けとけ、っちゅうねん。

 しゃて、ヨメ、陣痛。陣痛なんだが情報管理のミスがあったので「お盆しか参らん所」の地図なり、住所なり、電話番号をメモって貰うように頼んで私は別のお参り先に。
 
 14時頃帰宅。ヨメ、陣痛悪化(?)。予定日が17日だったし「遅れるらしい」との情報を聞いていたが、心配なので車で近所の病院に行く。
 朝からメシも喰ってないので『病院に送るだけ』っちゅう気持ちだったのだが、何やら土曜の午後は休診タイムらしく、「なんや、待たんでエエねんやったら一緒について行くわ」と、結局そのまま約10時間。。。
 助産婦さんに「立ち会いですか?」とか、わけのわからん事を云われる。こっちは『成り行き』で分娩室に入ってもうただけなんだが(笑)
 まあ、約10時間、貴重な体験でしたわ。
 あ、ちなみにテレビなんぞでよく見かけた分娩室の外で父ちゃんタバコを吸いながら「まだか、まだか」と云う事は現在出来ません。病院内禁煙です(笑)

 しゃて、タイトルは【『女』の嘘】である。いや、個人差があるのだろうが、うちのヨメはんが一番痛がって、顔面恐怖バリバリだったのが『点滴の針』を刺される時だったし。後から「お前、点滴の針刺される時が一番痛がってたやんけ」と言ったら「あれはホンマに痛かった」と云ってたし(笑)ほら、「男は出産の痛みに耐える事は無理や」なんぞと云いまんがな。うちのヨメは出産の痛みよりも『点滴の針』の方が痛がってたぞ。一度失敗して、二度目刺される時なんぞ恐怖で顔が「もうやめて!」状態やったし。
 これは、まあ、勝手な分析やけど、陣痛には『出産の喜び』みたいなもんが付属するわけであって、決して『救いのない痛み』ではないからやろ、と勝手に思ったりする。私も左腕が『ささみ』状態にブランブランと垂れ下がる大怪我をしたけど、あれは慰謝料も取られへんし、全く救いのない痛みだったから「痛い、っちゅうねん」だけなんだが、出産の陣痛には出産の喜びもある。ちなみに『後産』っちゅうのか?胎盤を取り出したり、切った所を縫ったりしたのも痛かったらしいが、それ以前に『胸に赤子を抱える母の喜び』っちゅうんですか?んなもんがありありのバリバリやったし。
 『人間は二度産まれる。一度目は胎内から。二度目は如来より。苦悩は如来の陣痛である』
 とかいう誰かの言葉があったけど、今感じている『苦悩』の先に救いが見えるのと見えないのとでは、やっぱし違うと思ったりする。

 しゃて、ヨメと一緒に分娩室に入ってから約7時間後に産まれた赤ちゃん。出産の瞬間に私がした事は拍手であった(笑)思わず「おお!」と拍手してもうた。なんちゅうんですか?『我が子が産まれた』っちゅう感動はなく、ただ単に『出産』っちゅうもん自体に感動してもうた。だいたい、『腹を痛めた子』ではなく、私にとってはこれから『メシを喰わさんとアカン』っちゅう事に『痛み』や『苦悩』があるわけであって、きっとそういう中で『我が子』などと云う感動があるのだろう。私の場合は。赤ちゃんを抱っこしたら当然「お、エエ感じやんけ」なんだが、んなもん、目の前で喚きながら産んで、産んだ赤ちゃんを胸元に抱えるヨメの姿を見たら「そら産まれた瞬間から『我が子』やのぉ。。。」なんぞと思ってまうし。
 んが、この『我が子』意識が『子供』という差別意識、人権無視になるのも同じやろうと。
 「腹を痛めて産んだ子」「苦労して育てた子」なんぞと云う事で、「なんで私の言う事が聞かれへんの!」と。
 うちのヨメはんが喚きながら産んだ子であり、これから私が、え~。。。以下自粛だが、とりあえず「ガキにメシ喰わさんと」などという事でやって行く様々な仕事の『恩』を『我が子』に売り、『我が子』がそれを生涯返し続けなければならないような関係だけは「ファック!」やな。
 『我が子』ちゃう、『如来の子』やし。

寺報

2009年08月08日 | 坊主の家計簿
 『深夜』と言っても問題ない時間に「あ、寺報作ろ」と急に思い立つ。まあ、ホンマは入寺早々作りたかったのだが、諸々の事情で断念してたのだが、やっぱし「作ろ」と(笑)
 
 作る前に悩んだ事。
 「うちのMacのソフトでは横書きしか無理やんけ。。。」と、ワードのソフトを検索。え~と、来年から無料になるらしいし、それ以前に最新版の評判が悪いみたいである。っちゅうか、やっぱし「来年から無料になるのになんで金だして買わんとアカンねんボケ!」である。
 っちゅう事で、横書きに決定。「なんで横書きやねん!」とクレームが来たら「貧乏やし、ケチやからじゃ!」と答えよ。

 今晩(今夜中か。。。)は、とりあえず表紙だけ完成。第1号は急遽作るのでA4の両面でエエかと。明後日から配りだしたいし。白黒コピーで両面やから、一部の原価20円か。うちの寺小さいから門徒さんだけに配るねんやったら銭湯→『ビールセットの焼そば』の料金ぐらいか。まあ、元所属寺の住職みたいに「名刺代わり」に配るつもりやし、もうチョイ、コピーしよ。
 第2号からはA3の両面、つまりA4で4面にしよ。確かA3まではコピー料金一緒やったし、経費も一緒やろ。

本日のワイドショー

2009年08月07日 | 坊主の家計簿
 朝、目覚める。と、いきなり嘘を書いてもうた。昼過ぎに目覚める。だって休みだし~♪
 テレビをつけたらワイドショー。酒井のりピーーが失踪中らしい。目覚めにいきなり疑問に思う。「失踪中か逃亡中かどっちやねん!」と。まあ、警察は参考人として探してると思うが、まあ、失踪中なんだろう。夫婦は別人格だが、夫が覚せい剤で捕まったらヨメはんも覚せい剤の検査ぐらいされたりすると勝手に思ってしまうのだが。。。
 しかし、家出捜索8割の成功率を誇る探偵が「子ども連れの自殺はありえない」みたいな事を云ってたが、子ども、発見されたみたいでんなぁ。。。
 のりピーって、一時期トップアイドルやったし、打たれ弱いのかも知れんのぉ。。。
 どうでもエエけど、行方不明って、仕事、ないんかのぉ。。。仕事あったら支障きたしそうやし、CMとかでも。そっちもキッツイ話やのぉ。。。トップアイドルやったのに。

 ワイドショーはその後『初の裁判員裁判』っちゅう話題になる。
 http://www.asahi.com/national/update/0806/TKY200908060153.html
 コメンテーターみたいな人が「量刑としては重い」と云ってはった。関連して「市民感情として厳罰化がすすんでいるのでは?」とか、うんたらかんたら。
 ちなみに判決が出る前に「私なら」と考えた量刑も懲役15年である。私も市民の一人であるから市民感情として「15年」である。理由は単純で「刑務所の中で死んだらエエ」である。だって、72歳の『おじいちゃん』である。72歳のおじいちゃんが殺人を犯し、刑務所に入り、出所する。まあ、仕事はないし、年金に入っているのかどうか知らんが、生活保護を受けたりしながら生きて行くのだろうが、80半ばでシャバに出たらキツいやろ。『元殺人犯』というレッテルから逃れようもないし、かつ、『初の裁判員裁判』として注目度バリバリである。同じ殺人を犯してもマスコミの扱い方も違うし、こうやって私もブログの記事で書いているように多くのブログ(ミニコミ)にも扱われるであろう。
 なにやら懲役12年程度が相場らしいのだが、懲役12年なら84歳。まあ、15年でも87歳と『変わらん』っちゅうたら変わらんけど、少しでも懲役を重くして「刑務所で周囲の人たちに囲まれて死んでいく方がエエのでは?」等と勝手に思ってしまう。そういう意味では遺族側が確か『懲役20年』という数字を出したが、あれが一番『優しい』かったりすると思ったりしてしまう。

 大原麗子が自宅で亡くなられたらしい。
 http://www.asahi.com/obituaries/update/0806/TKY200908060293.html
 病死らしいのだが、独りの部屋で病死して行くのは無茶苦茶心細く、不安でたまらなかったと思う。
 
 死にも貴賤はない。野垂れ死にでも、周囲の人たちに見守られての死であっても、その人の生涯を終えただけである。だから「御国の為に死んだから」と云って英霊になるのは変である。だが、英霊にしてしまう『私の思い』なんぞがあったりする。『戦争の為』『御国の為』なら反対しやすいのだろうが、『環境保護の為』『世界平和の為』なんぞならどうなのか?危険地域に『命を省みずに行動する』事がもてはやされたりしたりするのもある。
 人生に貴賤はなく、故に誰しもが戦争で殺される筋合いもなく、戦場に行って敵兵に殺される事が『素晴らしい』わけもない。
 しかし、そういう『思い』を持ってしまう。持ってしまっている。
 
 72歳のおじいちゃん。『人を殺してしまった』という人生。
 当然、その後、無茶苦茶キツい。刑務所の中もキツいのだろうが、シャバに出て来た、80半ばでシャバに出て来たら、無茶苦茶キツい。
 家族や親類、友人等が居るかどうか知らんが、その人達も『人殺し』という罪を犯してしまった人と付き合わなければならない。なんとなくだが、こういう場合『付き合いが疎遠になる』と勝手に思ったりする。
 80半ばで10数年振りにシャバに出て来て、訪ねて来るのは民生委員とかだけ。病気で苦しくても自暴自棄になって病院に連絡しなかったり、連絡出来ない状態に突然なったりするかも知れない。
 だったら、どうなんだろうか?刑務所の中で刑務所仲間も居るし、刑務所の職員も居る。そういう人たちが居て、病気になったら病院に連絡も出来るだろうし、決して孤独死は出来ない環境だったりすると思ったりするのだが。

 腹の据わっていない仏教徒の私は孤独死はやはりイヤである。死は平等だが、やっぱし自殺者の葬儀も辛いし、若い人の葬儀も辛い。
 『私がイヤ=相手もイヤ』とは非常に安易な危険思想だが、「でも。。。」と云いたくなる。
 私が今日の裁判員だったら「私の勝手な妄想ですが、あなたはどっちがイイですか?」と聞いてみたい。

ウロウロ

2009年08月06日 | 坊主の家計簿
 すぐにタイトル戻すな、っちゅうねんなぁ。。。我ながら。。。
 いや、数日振りにこのブログを開いたら自分で「怖いタイトルやのぉ。。。」っちゅう事で辞め。

 しゃて、今わたしはiMacちゃんを使っている。数日振りにパソコンを立ち上げてみたら、このiMacちゃんの画面の端がおかしい。諸々調べてみた結果、液晶画面の問題らしい。とりあえず『スクリーンショット』やったかな?なんか画面全体を撮影出来るやつ何ぞを試してみた結果。
 こころが揺らぐ。。。
 「やっぱし、ウインを買うか」
 「やっぱし、液晶一体型はアカンのぉ。Macミニにするか」
 なんぞと諸々探る。

 あ、机の上に置きっぱなしになってた天下一品の割引券の期日が7月31日までだった。「100円損したやんけ」という気分になったりするのだが、食べてないので別に100円損したわけではなく、損した気分なだけである。

 と、まあ、変わらずにウロウロ、ウロウロとしとる毎日ですわ。

 と、まあ、一応「今日も煩悩具足の凡夫でしたわい」とヲチがついたし寝てもエエのだが、明日休みなのだ。っちゅうか、私がこれからどうするかは別にして、ここ数十年の寺の歴史で「8月のお参りはお盆の時期に集めちゃえ!」っちゅうのがあったらしく、よってヒマなのだ。っちゅうても土日は何じゃかんじゃで詰まっているし、平日も何じゃかんじゃで連日外出しとるわけなんだが。まあ、それでも気分的には楽々であり、よってこの8月に『金になる仕事』を作ってイカンとどうしようもないのだが、何じゃかんじゃで出来ずに居てたりするのだが。。。ああ、今月中にはガキも出来るし「父ちゃん、働け!」っちゅう事で新しい仕事をして営業、営業と気合いを入れんとアカンのだがこれまたなんかウロウロしております。

 事実は事実であり、事実から始めるしかない。「事実を事実として引き受ける事が出来ない思いを抱えているのが私の事実である」とでんなぁ。。。

♪I am an アンチカースト

2009年08月01日 | 坊主の家計簿
 ブログのタイトルを【坊主の家計簿】から【実録『寺族』】に変更しようとする作業中に検索かましたら「お、坊主の家計簿がトップに来てまんがな。やはり永年の蓄積でんなぁ~」と、いったん断念する。え~と、「長いものには巻かれたらええねんやろ!」っちゅう感じでんな。ワッハッハッハ!
 ついでに『エロ坊主』で検索したらgoogleで7位、niftyで1位、yahooでも1位である。ちなみにniftyもyahooも1位2位独占である。つまり、私はついに日本一のエロ坊主になったわけだ。ワッハッハッハ!!!

 っちゅう事で、やっぱしブログのタイトルを【実録『寺族』】に変更。いや、なんかこのタイトルが気に入りまして。。。ついでに『実録・連合赤軍』みたいにカッチョエエでんがな。まあ、私が左派かぶれだから『カッチョエエ』なんぞと思ってまうのかも知らんが、あ、っちゅうか、森田必勝とかも「おお、カッチョエエやんけ。。。」と思ってまうから、右派左派関係なしに、まあ、『イデオロギー』っちゅうんですかい、っちゅうか、『過激派』っちゅうた方がエエねんやろう。変わらず、んなもんにカッチョ良さを感じてしまうわけでんな。
 ちなみにうちの近所には『大阪市立大学』という田宮高麿の母校があってでんなぁ。。。ついでに浅香支部、っちゅう『胡散無産』っちゅう雑誌を作ってたりしてた人が元支部員の情報によると「偉いさんになっている」支部(解放同盟の支部ね)もすぐ近くにあったりしてでんなぁ。。。食堂と銭湯以外にも御近所巡りをせんとアカンと思ったりする。っちゅうか、その前に金になる仕事をやり始めんとアカンのだが。。。ガキも出来るし。

 しゃて、なして【実録『寺族』】なのかと云うと、まあ単純な話、私が寺族になったからでんな。あ、ちなみに『寺族』とは「住職の家族」っちゅう意味なんだろうが、まあ、住職だって『寺族』である。
 坊さんを批判してた私が坊さんになって、寺族を批判してた私が寺族になったんだから、やはり寺族の事をやらんと。
 ちなみに『寺族(寺の血統)』も、『在家(それ以外の血筋)』も世間話である。仏教には関係ない話なんだが、主に江戸時代は身分制度だったから分けられていたらしい(詳しく知らん)。っちゅうか、最近は周囲を見渡すと『寺族』になる『在家』の人が多いのだが、それこそ私らの親世代なんぞは寺同士、つまり寺族同士での結婚が多かったみたいである。数字で調べた事はないが、まあ、私個人の周囲を見渡すとでんなぁ。
 つーか、私自身も「在家の人に仏教って解るの?」なんぞと差別発言を受けた事があり、まあ、それはとっくに解決したのだが、それでもそういう事があった事は事実であり、かつ、同世代でもやはりそういう発言なんぞを聞いたりしたりする。
 「寺族だから不可能である」とか「在家だから不可能」なら法然・親鸞は不要である。んなもん、カンケーあるかい!

 ついでだが、『寺族』ってまあ、真宗寺院がメインだろう。なんせ住職の家族が寺で一緒に住んでいる、っちゅう、上座部仏教の人からすると「わけ解らん」状態がずっと続いて来たわけだし。かつ、スゲーぜ。みんな当たり前のように云ってるけど、跡取り息子&娘が結婚したりすると「早く子どもを作って」なんぞとでんなぁ(笑)寺でっせ、寺。仏教寺院でっせ。上座部の過激派が居たらテロにあっても不思議ではない。うちの夫婦だって、今月が出産予定なんだが、みんな「おめでとう!」である。「あなたは仏教徒として子どもを作る行為をして恥ずかしくないのですか?」等と云われた事は一切無い。

 まあ、んな事を酔っぱらってテキトーに書いてるわけなんだが、書く内容は今までとじぇんじぇん変わりません。

 ちなみに今月中頃から末にかけて出産予定のうちのガキ、っちゅうたら私有化やな。え~と、今は『胎児』と呼ばれるが、出産すると『赤ちゃん』と呼ばれ、『子ども』と呼ばれる一つの人格に対して、真宗寺院で生活する以上は大谷派の教団問題、特に『法主→門首』になった歴史を出来れば伝えたい。勘違いしやすい環境やし。

 ♪I am an アンチカースト