坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

パパのワガママ

2009年08月26日 | 坊主の家計簿
 晩ご飯を食べに御近所中華屋へ。中華料理の店は何軒もあるので今日行った店はあんまり行かない店。理由は『高いから』(笑)
 今日食べたのは『激辛四川風麻婆豆腐と激辛四川風焼き飯』のセットで880円と高いのだが、なんとなく「辛いもんが喰いてぇ。。。」っちゅう気分だったので。
 
 で、
 
 『激辛四川風麻婆豆腐』。王将で「麻婆豆腐下さい」と頼んだ一人前ぐらいの量。

 『激辛四川風焼き飯』。王将で「焼き飯大盛りで下さい」と頼んで出て来る量よりも多い。「焼き飯2人前下さい。あ、取り分けて食べるので一緒の皿でエエですよ」ぐらいの量。

 これで880円か。。。高いのやら、安いのやら。。。
 後から入って来た人が焼そばを頼んでたんだけど、これまた大盛り。五目焼そば630円なり。出された人が眼をまんまるにするぐらいのボリュームやし、具も多かったので今度頼も。

 腹がパンパンになったし、毎度の自転車ウロウロ。「ああ、旅行に行きたいよぉ。。。」と、さみしい気分を自転車ウロウロでなんとなく満たそうとするのだが、自転車ウロウロをすればする程、「このまま遠くに行きたいよぉ。。。もっと知らない町をウロウロしたいよぉ。。。」と、心が騒ぐ騒ぐ。まあ、今夜は初めて行く銭湯だったので、若干の旅行気分。

 帰宅して深夜テレビをボケーっと見る。『ノブナガ』がやってたので、そのまま見る。
 「そうか、うちの恵里ちゃんって、小泉エリと同じ名前やんけ」とママに呟く。

 娘に対して「こういう風に育って欲しい」とは横暴極まりないのだが、もしくは『愛情』という名でもって自己愛を押し付けたりするのも横暴極まりないのだが、押し付けなくとも必ず押し付けとるわけだし、問題はその事に対してナンマンダブツと慚愧出来るかどうかだけだと思ったりするのであって、え~と、つまり何を言いたいのかというと、せっかく小泉エリちゃんと同じ名前なわけなんだし、パパも旅行が好きである。ここは是非恵里ちゃんには小泉エリちゃんの様に旅行三昧出来る仕事について貰いたい。
 別に『ごはんリレー』の仕事をしなくても、え~と、何があるやろ?
 
 1 長距離トラックの運転手
 2 ヒッピー

 ヒッピーって仕事やったっけ???まあ、エエ。

 恵里ちゃんが「私もパパの跡を継いで住職になりたい」と云うかどうかは解らん。娘の意思は尊重してやりたいが、『寺』は『家』ではない。よって『家業を継ぐ』なんぞは寺を私有化している象徴であって、私は大キライである。しかし、娘が「私が継ぎたい」と意思表明をするのであれば、私も協力する。まあ、他にもっとエエ人材が居ったら話は別だが。『真宗寺院の住職には誰でもなれる。誰でもなれるから寺で生まれ育った子でもなれる』っちゅうのが私の持論だし。
 恵里が住職になると『女性住職』と呼ばれるかも知らん。「んな、珍獣みたいな扱いをうちの子にするな!」とパパは徹底批判してぶっ潰してやるが(笑)

 少し話は変わるが、最近全く別の全く交流のないだろう2人の先輩から似た様な事を云われた。曰く「一度簡素化した仏事は元に戻す事は不可能である」と。多分、それぞれの御苦労から云われた事だと思う。ちなみに私は今年の報恩講を『同朋奉讃式』っちゅう、まあ、『簡素』な形で勤めた。来年は知らん。んなもん、「今年はこういう風にします」と前告知しとけばエエだけのもんだと思ったりするのだが。
 「在家(寺産まれでない)から寺に入ると大変ですよ」なんぞとも云われた事があったのだが、「大変なのは誰でも大変やろ」なんぞと思ってしまう。そりゃ、比較の問題なら大変なんかも知らんが、自分の人生を比較してもしゃーないし。かつ、比較する時はその時々の気分によって『楽そうに見える所』と比較して「なんで俺ばっかり要らん苦労をせなアカンねん」なんぞと思ったり、あるいはその逆に「ああ、寺で産まれたしがらみがないから楽やわ」なんぞと思ったり、まあ、『思い』ですし、ころころ変わるわけですし。
 「うわ、在家から寺に入ると大変やねんて。やっぱ辞めとこ」
 っちゅうのは、幽霊にビビるのと同じだったりすると思ったりする。

 「あんた、あっこに行ったら祟りがあるから、あっこには行ったらアカンよ」には主体がない。『あなたの為』である。
 「あんた、あっこに行ったら私たちに祟りが降り掛かるから行くのは辞めてね」なら主体があるから話し合えばエエ。どっちが正しいか関係なしにサシで話し合えばエエ。
 世間話の『あんたの為』で行動を辞める必要は一切無い。

 娘が「住職になりたい」と云い出して、その寺が私が今住職をしている寺ならば、「寺は家業ではない」とキチンと話し合った中で判断すればエエ。「お前に継ぐ権利はない」というのも、寺を私の私有化している事なんだし。その中で生じる苦労に「なんで他の人は。。。」なんぞと寝ぼけた事をヌカしたら徹底批判するし、「女だから」なんぞと性差別発言をされた時には娘と共同戦線をはればエエだけの話や。
 宿業、っちゅうか、『個人差』はそれぞれである。それぞれの人生の中で個人差を無視する発言や制度があればその苦労を背負って行くしかない。自分の人生の中での苦労なんだから、他に誰も代われない。代わる事は出来ないが、パパは協力するし。

 来週(大阪では)の小泉エリちゃんは網走のサロマ湖でわかさぎ釣をして、その場で天ぷらにして食べるらしい。
 「恵里ちゃんも大きくなったら一緒に行こうね」
 と云ったら、ママに「あんた、パパにとんでもない所に連れて行かれるみたいやで」なんぞと云われてしまった。。。行った事はないけど、多分美味しいと思うのだが、ママは寒い所が苦手みたいである。まあ、『寒い』っちゅうても程があるんやろうけど。。。けど、まあ、余りに寒くて「イヤ!」やったら、現場で辞めたらエエだけの話やと思うのだが。。。まあ、これも『思い』なので、「出産後で大変大変」なママと、「ちょっと大変」なパパとの温度差だと思ったりもする。まあ、気分ですし。