坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

パパの『お盆』

2009年08月14日 | 坊主の家計簿
 ママと一緒に娘も退院。午前中の仕事を終えて迎えに行く。え~。。。迎えに行く時間が解っとるねんやったら準備ぐらいしとけ。。。と、若干キレる。不機嫌モードで病室の片付けを済ませて家に戻る。パパ、速攻着替えて午後からの仕事へ。「お腹空いたよ。ピー。。。」なんだが、まあ、忙しい仕事は慣れっこだし、朝から何も喰わんでも夕方近くまでは働けるので大丈夫ったら大丈夫なんだが、今日も蒸し暑い。。。
 
「まあ、冷たいお茶でもどうぞ」
 なんだが、お坊様が一番欲しがっているのは、きっと『水』か『スポーツドリンク』やと思うぞ。
 この「私がそうだから、きっとみんなもそうだ」っちゅうのは危ないのだが、やっぱしガブ飲み出来るのは水とかスポーツドリンクやし。塩分補給も必要やから、スポーツドリンクとかやな。
 そういや、坊さんに麦茶を出そうとしたら間違って『そうめんつゆ』を出してしまったという話を聞いた事があるけど、真夏の私なら「そうめんつゆ下さい」でっせ。「出来たらショウガも入れてね」でっせ。
 っちゅう事で、明日はスポーツドリンクを自転車の前カゴに放り込んどこ。っちゅうか、そうめんつゆでもエエなぁ~。。。空腹もまぎれるし。冷えたみそ汁でもエエかもしれん。麺つゆをそば湯で割ったのもエエかもしれん。。。

 しゃて、退院時の荷物に病院に営業に来た様々な業者からのプレゼントが入ってた。なんや、『出産産業』もちゃんと営業しとるわけやね。素晴らしい。。。まあ、『当たり前』っちゅうたら、当たり前なんだろうが。。。

 しゃて、お盆である。お盆なのでお盆を売り歩く。
 「奥さん、このお盆、もう長い事使ってるんと違います?そろそろ新しいお盆に変えはったらどうですか?今なら安くしときますよ」
 違う、っちゅうねん。っちゅうか、オモロない、っちゅうねん。

 真宗門徒の御先祖の霊はお盆に帰って来ない。っちゅうか、お盆に帰って来る『霊』は成仏しとらんから帰って来るのか?つまり、まだ輪廻しとるから帰って来るのか?偽経であっても仏教と習俗との融合が『日本のお盆』なんだろうが、喋っている間にワケ解らんようになって来たやんけ。
 まあ、云えるのは成仏したら『霊』としては帰って来れない、っちゅう事。
 釈尊当時、っちゅうか、今もなんだろうが、カースト制度での輪廻転生なんぞを持ち出して話をしているわけなんだが。まあ、カースト制度なんかでの輪廻転生は「今度生まれ変わったら」だろ。「今度生まれ変わったら、もう少しエエ所に生まれ変わりたい」なんぞと。つまり、我が身が『そのままの救い』にはなり得ない。

 しゃて、かわゆいかわゆい我が娘。最早『かわゆい』と言っててなんだが、もっと比較しだすのは一体どれくらいからなんだろうか?
 「世間では何ヶ月になるとこういう成長をすると云ってますが、うちの子は。。。」
 等々。
 「もう、あんたは、クラスの他の子と同じ事がなんで出来ひんねん」
 等々。
 そういう、親がどうしようもなく世間に魂を売り渡した奴隷の場合、当然、『奴隷の子』として育てようとする。つまり、『我が子』の価値観を世間に魂を売り渡した自我意識のままで育てようとすると、

【世間に抱く関心は 必ず自己中心の善悪による関心である】(by信国先生)
 
 である。それが故に如来の子たる我が子を、自己中心的な善悪分別の『我が子』として、『我』の都合のエエ『子』に、つまり『子供』という差別された名称になる。『供える』対象は『我』や『国家』や『世間』でなく、如来なのだ。阿弥陀如来という、常に『我』『私』を問うて下さる働き、「お前は如来の子を『我が子』にしようとしてるやろ」なんぞと。それは「お前は、お前の人生をお前の思う通りに生きようとしているやろ」と。
 智慧がなく、アホ丸出しで「私は賢い」なんぞと。「この賢い私の判断に間違いはないのだ!!!」なんぞと。

 如来の子。『そのままのいのち』として産まれて来た、如来の子。
 分別するのは、自我意識で分別するのは親。

 「おや~、それはへんだぞ~。。。」

 イマイチやなぁ。。。
 けど、まあ、自我がそれほど出来ていない我が娘にとっては「イマイチ」もクソもないのだろう。。。まあ、そのうちに「パパの冗談って、ゼンゼン面白くない~」なんぞと云われるのだろうが。。。

 『そのままの救い』
 私が死んだら成仏するので、『お盆』だからといって特別に帰って来ません。
 「南無阿弥陀仏」と念仏申す時に、成仏して極楽浄土の諸仏として「パパはパパの人生を生ききったんだ。私も私の人生を生ききろう」と思い出してくれたら、それでエエ。それがエエ。