朝、目覚める。と、いきなり嘘を書いてもうた。昼過ぎに目覚める。だって休みだし~♪
テレビをつけたらワイドショー。酒井のりピーーが失踪中らしい。目覚めにいきなり疑問に思う。「失踪中か逃亡中かどっちやねん!」と。まあ、警察は参考人として探してると思うが、まあ、失踪中なんだろう。夫婦は別人格だが、夫が覚せい剤で捕まったらヨメはんも覚せい剤の検査ぐらいされたりすると勝手に思ってしまうのだが。。。
しかし、家出捜索8割の成功率を誇る探偵が「子ども連れの自殺はありえない」みたいな事を云ってたが、子ども、発見されたみたいでんなぁ。。。
のりピーって、一時期トップアイドルやったし、打たれ弱いのかも知れんのぉ。。。
どうでもエエけど、行方不明って、仕事、ないんかのぉ。。。仕事あったら支障きたしそうやし、CMとかでも。そっちもキッツイ話やのぉ。。。トップアイドルやったのに。
ワイドショーはその後『初の裁判員裁判』っちゅう話題になる。
http://www.asahi.com/national/update/0806/TKY200908060153.html
コメンテーターみたいな人が「量刑としては重い」と云ってはった。関連して「市民感情として厳罰化がすすんでいるのでは?」とか、うんたらかんたら。
ちなみに判決が出る前に「私なら」と考えた量刑も懲役15年である。私も市民の一人であるから市民感情として「15年」である。理由は単純で「刑務所の中で死んだらエエ」である。だって、72歳の『おじいちゃん』である。72歳のおじいちゃんが殺人を犯し、刑務所に入り、出所する。まあ、仕事はないし、年金に入っているのかどうか知らんが、生活保護を受けたりしながら生きて行くのだろうが、80半ばでシャバに出たらキツいやろ。『元殺人犯』というレッテルから逃れようもないし、かつ、『初の裁判員裁判』として注目度バリバリである。同じ殺人を犯してもマスコミの扱い方も違うし、こうやって私もブログの記事で書いているように多くのブログ(ミニコミ)にも扱われるであろう。
なにやら懲役12年程度が相場らしいのだが、懲役12年なら84歳。まあ、15年でも87歳と『変わらん』っちゅうたら変わらんけど、少しでも懲役を重くして「刑務所で周囲の人たちに囲まれて死んでいく方がエエのでは?」等と勝手に思ってしまう。そういう意味では遺族側が確か『懲役20年』という数字を出したが、あれが一番『優しい』かったりすると思ったりしてしまう。
大原麗子が自宅で亡くなられたらしい。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0806/TKY200908060293.html
病死らしいのだが、独りの部屋で病死して行くのは無茶苦茶心細く、不安でたまらなかったと思う。
死にも貴賤はない。野垂れ死にでも、周囲の人たちに見守られての死であっても、その人の生涯を終えただけである。だから「御国の為に死んだから」と云って英霊になるのは変である。だが、英霊にしてしまう『私の思い』なんぞがあったりする。『戦争の為』『御国の為』なら反対しやすいのだろうが、『環境保護の為』『世界平和の為』なんぞならどうなのか?危険地域に『命を省みずに行動する』事がもてはやされたりしたりするのもある。
人生に貴賤はなく、故に誰しもが戦争で殺される筋合いもなく、戦場に行って敵兵に殺される事が『素晴らしい』わけもない。
しかし、そういう『思い』を持ってしまう。持ってしまっている。
72歳のおじいちゃん。『人を殺してしまった』という人生。
当然、その後、無茶苦茶キツい。刑務所の中もキツいのだろうが、シャバに出て来た、80半ばでシャバに出て来たら、無茶苦茶キツい。
家族や親類、友人等が居るかどうか知らんが、その人達も『人殺し』という罪を犯してしまった人と付き合わなければならない。なんとなくだが、こういう場合『付き合いが疎遠になる』と勝手に思ったりする。
80半ばで10数年振りにシャバに出て来て、訪ねて来るのは民生委員とかだけ。病気で苦しくても自暴自棄になって病院に連絡しなかったり、連絡出来ない状態に突然なったりするかも知れない。
だったら、どうなんだろうか?刑務所の中で刑務所仲間も居るし、刑務所の職員も居る。そういう人たちが居て、病気になったら病院に連絡も出来るだろうし、決して孤独死は出来ない環境だったりすると思ったりするのだが。
腹の据わっていない仏教徒の私は孤独死はやはりイヤである。死は平等だが、やっぱし自殺者の葬儀も辛いし、若い人の葬儀も辛い。
『私がイヤ=相手もイヤ』とは非常に安易な危険思想だが、「でも。。。」と云いたくなる。
私が今日の裁判員だったら「私の勝手な妄想ですが、あなたはどっちがイイですか?」と聞いてみたい。
テレビをつけたらワイドショー。酒井のりピーーが失踪中らしい。目覚めにいきなり疑問に思う。「失踪中か逃亡中かどっちやねん!」と。まあ、警察は参考人として探してると思うが、まあ、失踪中なんだろう。夫婦は別人格だが、夫が覚せい剤で捕まったらヨメはんも覚せい剤の検査ぐらいされたりすると勝手に思ってしまうのだが。。。
しかし、家出捜索8割の成功率を誇る探偵が「子ども連れの自殺はありえない」みたいな事を云ってたが、子ども、発見されたみたいでんなぁ。。。
のりピーって、一時期トップアイドルやったし、打たれ弱いのかも知れんのぉ。。。
どうでもエエけど、行方不明って、仕事、ないんかのぉ。。。仕事あったら支障きたしそうやし、CMとかでも。そっちもキッツイ話やのぉ。。。トップアイドルやったのに。
ワイドショーはその後『初の裁判員裁判』っちゅう話題になる。
http://www.asahi.com/national/update/0806/TKY200908060153.html
コメンテーターみたいな人が「量刑としては重い」と云ってはった。関連して「市民感情として厳罰化がすすんでいるのでは?」とか、うんたらかんたら。
ちなみに判決が出る前に「私なら」と考えた量刑も懲役15年である。私も市民の一人であるから市民感情として「15年」である。理由は単純で「刑務所の中で死んだらエエ」である。だって、72歳の『おじいちゃん』である。72歳のおじいちゃんが殺人を犯し、刑務所に入り、出所する。まあ、仕事はないし、年金に入っているのかどうか知らんが、生活保護を受けたりしながら生きて行くのだろうが、80半ばでシャバに出たらキツいやろ。『元殺人犯』というレッテルから逃れようもないし、かつ、『初の裁判員裁判』として注目度バリバリである。同じ殺人を犯してもマスコミの扱い方も違うし、こうやって私もブログの記事で書いているように多くのブログ(ミニコミ)にも扱われるであろう。
なにやら懲役12年程度が相場らしいのだが、懲役12年なら84歳。まあ、15年でも87歳と『変わらん』っちゅうたら変わらんけど、少しでも懲役を重くして「刑務所で周囲の人たちに囲まれて死んでいく方がエエのでは?」等と勝手に思ってしまう。そういう意味では遺族側が確か『懲役20年』という数字を出したが、あれが一番『優しい』かったりすると思ったりしてしまう。
大原麗子が自宅で亡くなられたらしい。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0806/TKY200908060293.html
病死らしいのだが、独りの部屋で病死して行くのは無茶苦茶心細く、不安でたまらなかったと思う。
死にも貴賤はない。野垂れ死にでも、周囲の人たちに見守られての死であっても、その人の生涯を終えただけである。だから「御国の為に死んだから」と云って英霊になるのは変である。だが、英霊にしてしまう『私の思い』なんぞがあったりする。『戦争の為』『御国の為』なら反対しやすいのだろうが、『環境保護の為』『世界平和の為』なんぞならどうなのか?危険地域に『命を省みずに行動する』事がもてはやされたりしたりするのもある。
人生に貴賤はなく、故に誰しもが戦争で殺される筋合いもなく、戦場に行って敵兵に殺される事が『素晴らしい』わけもない。
しかし、そういう『思い』を持ってしまう。持ってしまっている。
72歳のおじいちゃん。『人を殺してしまった』という人生。
当然、その後、無茶苦茶キツい。刑務所の中もキツいのだろうが、シャバに出て来た、80半ばでシャバに出て来たら、無茶苦茶キツい。
家族や親類、友人等が居るかどうか知らんが、その人達も『人殺し』という罪を犯してしまった人と付き合わなければならない。なんとなくだが、こういう場合『付き合いが疎遠になる』と勝手に思ったりする。
80半ばで10数年振りにシャバに出て来て、訪ねて来るのは民生委員とかだけ。病気で苦しくても自暴自棄になって病院に連絡しなかったり、連絡出来ない状態に突然なったりするかも知れない。
だったら、どうなんだろうか?刑務所の中で刑務所仲間も居るし、刑務所の職員も居る。そういう人たちが居て、病気になったら病院に連絡も出来るだろうし、決して孤独死は出来ない環境だったりすると思ったりするのだが。
腹の据わっていない仏教徒の私は孤独死はやはりイヤである。死は平等だが、やっぱし自殺者の葬儀も辛いし、若い人の葬儀も辛い。
『私がイヤ=相手もイヤ』とは非常に安易な危険思想だが、「でも。。。」と云いたくなる。
私が今日の裁判員だったら「私の勝手な妄想ですが、あなたはどっちがイイですか?」と聞いてみたい。