坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

営業熱心

2009年08月11日 | 坊主の家計簿
 昨日は開いてなかった眼が今日はおメメぱっちりの我が娘。かわゆいのぉ~。昨日に比べて泣き声も暴れ方も元気元気。
 等と安心している場合ではなく父ちゃんは仕事をせんとアカンわけだし、仕事を作らんとアカンわけなんだが、その前に「退院したらベビーカーって居るねんなぁ。。。」と慌てふためく。ベビーベッド等の算段はついているのだが、マルチ機能のベビーカーを「そのうち買わんとアカンのぉ。。。」と言ってる間に、予定日より遅れるはずが予定日より9日早く産まれたので慌てる。んが、まあ、近所のジャスコに狙ってるのが売ってたので今日買いに行くと「この商品は取り寄せになってまして2週間程かかります」との事。
 とりあえずネット検索して(今までヨメはんに任せてたので)「なんとかなるかなぁ~」みたいな感じなんだが、え~と、産婦人科に出入りの業者は居ないのか?

 ふと、葬儀社を思い出す。病院で人が亡くなったら葬儀社がやってくる。知ってる寺が無ければ葬儀社が紹介してくれるだろうし、仏壇やら墓石なんぞも頼めば紹介してくれるのであろう。仕事やし。
 産婦人科に営業に行ってるベビー用品の店ってあるんかぁ~。助産婦さんに「すいません、予定日よりも早く産まれたので用意が出来てないんですよ~。夫は仕事で忙しいし、出来れば病室にカタログ持って来て頂いて退院までに一式揃えたいんですが、そういうのってないですかね~」と言ったら、助産婦さんが「そしたら私が知ってる人に頼みましょか?」とかでんなぁ~。
 私が狙っているベビーカーはジャスコでは定価販売。ネットで検索してもほぼ定価販売。タマに安い所があるぐらいなもん。よって定価で不服はない。何ら文句はない。

 故に、営業熱心なベビー用品店が産婦人科病院に営業に行って、病室で選べたらムッチャ便利やねんけどなぁ。。。

 ちなみに『仏事屋』を目指している私なんだが、出産も仏事やな。出産間もなくベテラン助産婦(この人はホンマ凄かった)が、一応分娩室に居た私に「ほら、女の子です。手足もちゃんとありますし、指も5本あります」と云ってはった。まあ、『当然』っちゅうたら当然の話なんだろうが、障害者作業所に居た私にはやっぱし違和感を感じた。「揃ってなかったらアカンのかい!」と。
 そういや、某有名コピーライター(名前ど忘れ)が、あ、糸井重里や。糸井重里が子どもが産まれる前に「こういう子どもだったらな」とか諸々考えてて、でも最後辺りには「せめて五体満足に産まれて来てくれ」?「とりあえず生きて産まれて来てくれ」に変化していった欲望の変化について語られていたが、私はそういう面では欲望が少なく、これは別に腹が据わっているとか念仏者だからとかの話でなく、ホンマに単純に『欲望』の問題であって、あ、欲望、っちゅうたらアカンな。生身の人間が持つ『愛情』の問題であって、生身の人間の愛情が深ければ深い程「こうあって欲しい」と願うのは当たり前の事であって、それが『煩悩具足の凡夫』っちゅうやつであって、私はそういう愛情の前に「生活していかんとアカン」とか、家庭内の事で頭がパンパン状態なので、そこまで感情が廻らなかっただけの話である。
 でも、やっぱし、産まれて来た赤ちゃんは、どんな赤ちゃんであっても私が『親』として関係性を持たなければアカンわけやし、『親』として手足が無かろうと、指が無かろうと、それでも『親』は『親』であり、『子』は『子』でしかない。対等な人間関係として

 1 「えらばず、きらわず、みすてず」の如来の本願に触れ、
 2 「はじめに尊敬あり」と生活を切り開き、
 3 困難にぶつかり、それをまっとうできない時の「だからこそ」といういのちのさけびを聞く。
 (狐野秀存『竹中智秀先生とは誰であったのか 生活をひらく三つの言葉』37ページより)